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紀の川筋を行ったり来たり

2018年02月06日

2月6日(火)

昨日の夕方、妙寺の行き付けの歯科医院に行った。雪を警戒して、公共交通機関を使った。本来ならば、高野山駅までバス、そこからケーブルで下りて、極楽橋から電車で橋本、橋本からJRに乗り換えて12,3分で妙寺である。ところが去年9月の台風による土砂崩れで、高野下~極楽橋間が不通になった。以来、代行バスが渋田、笠田経由で運行されている。


まず本山前駐車場からシャトルバスに乗って大門外の駐車場へ行き、そこで橋本行きに乗り換える。このバスは渋田、笠田経由で京奈和自動車道路を使って橋本駅まで行くもので、途中歯科医院のある妙寺の横を通るのだが、途中下車はできないので、おとなしく橋本駅まで行くしかない。着いたのは4時40分頃だった。それから5時2分まで待ってJR各駅停車の和歌山行きに乗り、妙寺で下りてN歯科に向かった。歯科は何と言っても腕次第である。私はN氏の腕を信頼している。この日はいつもの3倍くらい時間がかかった。麻酔が切れたら痛みが出るかもしれないので、今日はお酒は控えて下さい、と言い渡されてN歯科を出た。


駅に行くと6時20分の橋本方面行きが出たばかりであった。半分ほど引き返して、食堂に入った。感じは悪くない。焼きそばを注文して食べているうちに、隣の客のホルモン鍋がおいしそうに見えたので、これも注文する。ついでのこと熱燗も頼みたかったのだが、さっき歯科で言われたことを想い出してぐっと我慢する。店を出たのは7時過ぎで、辺りはちょっとした吹雪になっていた。7時18分の「上り」で橋本に戻る。駅前の仮設の待合室に入り、30分ほど待たされて、8時5分に乗合タクシーで高野山に向かう。コースは、紀の川南岸の道路を通って渋田で山道に入るもの。無線で頻々と入る道路情報から、安全な道を選んでいる様子である。仕事とはいえ、本当にご苦労様である。道路は途中からシャーベット状になり、それがさらにアイスバーンに変わってゆく。当然スピードは出ない。山内に到着したのは9時過ぎであった。








       

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チョパデ氏との会談

2018年02月05日

2月5日(月)

全国各地と同様、今冬は高野山も雪が多い。

さて1月28日、午前中はムンバイ最大の博物館チャトラパティ・シヴァージー・マハーラージ・ヴァツ・サングラハーラヤを見学した。この博物館はタージマハル・パレスからは徒歩圏内にある。昨日と同様、ウメーシュさんが前もって連絡を取ってくれたお陰で、学芸員の解説を聞くことができた。大きな特別展をやっていることもあって、一度ではとても見切れない規模であった。

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ホテルに戻り、ロビーで山下さんとお昼の相談をしている最中に、同じロビーにチョパデ副学長がおられるのに気がついた。約束は2時からだったが、シェーカルさんも交えて早速会談。現地でシンポジウムを開催する方向で話が進む。県とMTDCが間に入ってくれるというのは心強かったが、来年度の課題がひとつ増えたのは確かである。

会談は短時間で終わり、チョパデ一家が去った後、みんなで食事にでかけた。案内されたのは、ムンバイ第一の海鮮レストランという「トリシュナー」である。確かに蟹味噌は絶品だった。

午後は再びウメーシュさんと一緒に行動。まず日本山妙法寺に森田上人を訪ねる。あいにく上人は午睡中だったが、しばらくすると起きてきてくれた。3年ぶりで話がはずむ。

その後、ヒンドゥー寺院をふたつ見学してホテルに戻った。夕食は、州政府高官のM氏の招待を受け、氏の官舎で家庭料理をいただいた。官舎は州政府の建物のすぐ近くにあるが、芝生の庭が広く、大都会のど真ん中とは思えない清々しい環境だった。

M氏は禅に興味を持っており、隻手音声の公案などにも触れて話をした。イギリス統治時代からの伝統だろう。インドは官僚制の強いお国柄である。マハーラーシュトラのような巨大州で、官僚のトップに上り詰める人物は、教養の幅も広いものだと感心した。


フィールドワークの記録

ムンバイ見物1日目

2018年02月02日

2月3日(土)

昨日は、朝から通信の修士論文の試問を一人90分で3つ連続こなす。その後、補講をやり、判定会議に出たあと、昼・夕兼食を取った。さすがにそれ以上仕事はできず、曼荼羅荘に帰った。


さて、1月27日(土)朝、ホテルを出た車はムンバイの中心地へと向かった。最初に訪れたのは、バブ―アミチャンド・パナラル・ジャイン・テンプルなどふたつのジャイナ教寺院である。マラバール・ヒルにあるバブ―アミチャンド・パナラル・ジャイン・テンプルは、ジャイナ教徒のコミュニティーが発達したムンバイでも特に有名なジャイナ教寺院である。前夜、シェーカルさんに、どこに行きたいか尋ねられてリクエストした。

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*ジャイン・テンプルの境内

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*ジャイナ教の聖者たちに祈りを捧げる人々


昼食は、コラバ地区の「フード・イン」で、名物のタンドリチキンをおいしくいただいた。


午後はウメーシュさんの案内で、ヴィクトリア・ガーデンにあるドクター・バウダージ・ラッド博物館を見学した。この博物館は旧名をヴィクトリア・アンド・アルバート博物館といい、19世紀後半にロンドンの同名の博物館を模して造られた。一時期荒れ果てていたのを細部まで忠実に復元したもので、建物自体が文化財だ。展示も伝統的なスタイルが守られているようで、大英博物館の「啓蒙ギャラリー」を想起させる。ムンバイを訪れた人には是非足を運ぶことを勧めたい。

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*マラバール・ヒルのハンギング・ガーデン奥にあるダフマ、所謂「沈黙の塔」の模型。パールシー(ゾロアスター教徒)の葬儀場だ。この博物館に行ったのは、この模型を見るため。明治のインド留学生たちも好奇の目を向けたはずのものである。


この日の締め括りは、エレファンタ島で開かれたフェスティバルへの参加。来賓席で出し物を楽しんだ。

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*男女二人のダンサーが・・・

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二度目のムンバイ

2018年02月01日

2月1日(木)

ムンバイは暑くもなく寒くもない、ちょうどいい気候だった。

1月26日の午後9時半頃に空港に着き、シェーカルさんを始めとするMTDCの人々の出迎えを受ける。前回同様、和歌山県の使節団に交じっての訪印であるため、MTDCと和歌山県のスタッフの強力な支援を受けることができて、何の心配も要らなかった。

夜遅いということで、この日は空港に近いマハーラーシュトラ州政府の宿泊所に泊めてもらう。これも州政府の特別な配慮である。 私の部屋は二間にシャワー・トイレ付きで、文句のないものだった。

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*翌朝の食卓。宿泊所は幹線道路に面しているため一晩中車の行き交う音がしたが、ほとんど気にならなかった。


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明日フライト

2018年01月25日

1月25日(木)

 昨日のスケジュールは、大抵のことになれているはずの私にもきついものであった。

1時間目授業、2時間目は空き時間でせっせと原稿書き、午後から会議、会議、補講、会議、会議で、夜の9時近くになった。やっておくべきことはまだ残っていたが、力尽きたので曼荼羅荘に帰る。

 今日は早く出て、集中して仕事を片付けにかかる。だが、何と1時間目から4時間目まで連続で補講。自分で立てた日程とはいえ、あまりに酷い。学生にも迷惑はなはだしいが、かえって同情を買う。その間を縫って、原稿を書き、何とか1本仕上げる。補講終了後、集中して残務整理。何とか6時に帰ることができる目処がついた。

 明日は7時半に関空集合である。フライトは10時、キャセイパシフィック香港乗り換えで、ムンバイに向かう。出かけてしまえば、こっちのものだ。

 

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