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南三陸町防災対策庁舎

2012年09月24日
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有名になった防災対策庁舎である。あの日あの時、この庁舎の防災無線から流れ続ける、高台への非難を呼びかける若い女性の緊迫した声が、多くの人命を救った。その声の主、遠藤未希さん(南三陸町危機管理課職員)は帰らぬ人となった。未希さんだけはない。この建物で役場の職員と市民、あわせて41人が犠牲になった。

さんさん商店街という仮設の商店街の一画にある写真館で、高台から撮られた庁舎の写真を見た。一枚は荒れ狂う津波に囲まれた屋上に数十人の人間がいる恐ろしい写真。次の一枚は、その屋上が波に呑まれ、アンテナに一人だけしがみついているというさらに恐ろしい写真だ。この時流されたうちの何人かが非常階段の手すりに引っかかって命拾いしたという。

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私たちはここを2度訪れたが、いずれの場合も、多くの人がお参りに来ており、一種の聖地のような雰囲気だった。

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この建物には保存か取り壊しかの議論があるという。南三陸町民が決めることだが、震災からすでに1年半が経過しており、保存するならば、その措置は急いだ方がよいとの印象を受けた。

この建物から海に向かって300メートルほど離れた場所に、高野(たかの)会館という一部4階建ての建物がある。鉄骨だけになった防災庁舎と違い、外壁が残っている。堅牢な感じの建物だ。あの日、ここでは南三陸町の高齢者芸能発表会が開かれており、2階の会場には400人もの人がいたが、この会館の営業本部長の判断で4階に誘導されてほぼ全員が助かった。水位は4階のガラス窓にも達し、まるで水族館の中にいるようだったという。だが幸運にも窓ガラスは割れなかった。

紙一重の差で明暗が分かれるのが人間の運命であり、ここから簡単に何かが引き出せるわけではないかもしれないが、地方自治体の防災担当者にはもれなく参考にしてもらいたい事例である。



高野山大学の力