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能海寛研究会2012

2012年07月09日
忙しさもここに極まったという感じである。

土曜日、昼から新幹線で広島に向かった。島根県浜田市波佐で開かれる能海寛研究会に参加するためである。研究会は日曜日だが、午前中から参加するには、どうしても前泊が必要なのだ。3時、広島駅の新幹線口近くのビジネスホテルにチェックイン。本来ならば、2年前には果たせなかった呉の戦艦大和ミュージアムの見学にでかけたいところだが、仕事が詰まっているので断念し、ホテルの部屋にこもらざるをえなかった。といってもやはり、それほど能率が上がるわけではない…
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*広島駅構内の名店街にある「みっちゃん」のお好み焼き。

夕方、早めに食事をとろうと、ホテルのカウンターで適当なお店を尋ねたら、「お好み焼きですか」と聞き返された。広島を訪れた者全員が広島お好み焼きを目指しているわけでもあるまいに、と思いながら、素直に「はい」と答えると、この近くにも店があるし、駅の構内にもあると教えてくれた。

翌朝8時、駅前でN井先生の車に拾ってもらって波佐に向かう。

波佐は、現在は浜田市のエリアに入っているが、もとは石見国那賀郡の一部で、中国山地西部、広島県境に近い緑豊かな山間の村である。河口慧海と同時代にチベット探検を試みて帰らぬ人となった能海寛(のうみ・ゆたか)は、明治元年にこの村にある真宗大谷派浄蓮寺に生まれた。能海寛研究会は、平成7年に地元の有志を中心に結成されて以来、能海の顕彰と研究を続け、機関誌『石峯』を発行し、「能海寛著作集」を刊行するなど数々の実績をあげてきた。

従来私はこの研究会とは最小限のお付き合いですませていたのだが、2年前にどういう理由か副会長に推挙されてしまい、本腰を入れざるを得なくなった。

総会では「能海寛学術研究センター」の企画書案が説明された。実は私は、この春から、S田さんに今秋の移動学習会の企画実行を迫られていた。事務局案では高野山で1泊であったが、私は前々から田辺の南方熊楠顕彰館の見学を推していた。研究会がもう一段成長するためには、能海寛関係資料の保存と展示、研究と顕彰・学習のための専用施設が必要だと考えていたからだ。一足飛びの実現は無理にしても、顕彰館を見ることは、面々にとって大いに刺激と参考になる、と。

ただこの忙しさである。11月ごろに1泊2日の案内がはたして可能だろうか、それが問題だった。だが、「能海寛学術研究センター」の企画書案を見て、私も覚悟を決めざるを得なかった。

研究発表と講演は次の通り。ほかの人の話はそれぞれにとても参考になった。

岡崎秀紀(能海寛研究会長)「河口慧海の西蔵行と『明教新誌』社説について」
高本康子(北大スラブ研究センター)「戦時下の『能海寛』」
奥山直司「能海寛の周辺―明治セイロン留学生たち」

記念講演
井上治(島根県立大学)「青海におけるダライ・ラマ3世とアルタンの会見―モンゴル人がチベット仏教信仰を深め たきっかけの諸事情」

会場のときわ会館を出たのが4時半頃、車中、「同乗者」一名と掛け合い漫才を楽しむうちに広島駅に到着。N井先生からの夕食のお誘いは、丁重にお断りして、新幹線に乗った。
ある大学教員の日常茶飯