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雨の長崎②

2012年06月21日
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*オランダ坂。この先にはミッション系の活水学院(1879年創立)がある。

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*旧グラバー邸。国指定重要文化財だ。

グラバー園は長崎港を見下ろす小高い丘の斜面にあった。ホテルのスタッフに教わった通り、グラバースカイロードの斜行式エレベーターを使ってまず丘のてっぺんに登り、そこから下りながら園内を見て回る。ここには旧グラバー邸以外にも、旧三菱第2ドックハウス、旧ウォーカー邸、旧リンガー邸、旧オルト邸などたくさんの建物があって、見ごたえ十分だ。

「龍馬伝」はとびとびにしか見なかった私でも、グラバーといえば坂本龍馬である。前夜、思案橋で長崎ちゃんぽんの遅い夕食をとったが、その店は隠れた名店らしく、「龍馬伝」の出演者たちの色紙が何枚か飾ってあった。本物のグラバー邸でロケしたのだなと察しがついた。

ただし、グラバー園の出口の店で買った『グラバー家の人々』(ブライアン・バークガフニ著、平幸雪訳、長崎文献社)には、トーマス・グラバーと龍馬の関係についての直接の言及はない。

この本によると、維新後にグラバー商会が倒産したのは、トーマス・グラバーが西南の諸大名に掛け売りで売った軍艦、武器、弾薬などの代金が回収できなくなったことが大きいようだ。維新を後押しした陰の功労者に、この結果は何とも皮肉だが、グラバーはその後も数々の事業に関係してゆく。その一つがビール会社ジャパン・ブルワリ・カンパニー、つまり現在の麒麟ビールの創業だ。

ということは、お酒といえばビール、ビールといえば麒麟の私も、う~んと間接的には、グラバーさんの恩恵を受けてきたことになる。

一通り回ったところで、早朝から何も食べていないことに気付き、園内の旧自由亭という趣のある喫茶店でダッチコーヒーとカステラをいただいた。なんでも自由亭は日本最初の西洋料理のレストランであるとのこと。勘定をすませ、階段を下りかけて、入る時には気付かなかった一枚の肖像画にふと目が止まった。「旧自由亭主人 草野丈吉氏像」とある。ええっ、あの草野丈吉!「自由亭」とはあの「自由亭」か!喫茶室に取って返して確認し、手持ちの資料を撮らせてもらう。

草野丈吉(1840-1886)は、現在の長崎市伊良林町の農家に生まれ、出島商人に奉公したり、オランダ軍艦で2年間ボーイ、コック、洗濯係として修業するうちに、西洋料理を習得し、24歳で我が国最初の洋食屋「良林亭」を開業した。これが自由亭の前身である。明治2年、大阪の川口居留地に外国人止宿所が作られる際に、五代友厚との縁で、その司長(ジェネラルマネージャー)に就任。のちに独立して、「自由亭ホテル」を創業した。

私が草野の名を知ったのは、『評伝 河口慧海』を執筆していた時のことである。この本の中で草野に触れたのは次の箇所だ。

「(慧海の)師蓬山(佐伯蓬山)は大阪中之島の自由亭ホテルに出入りするようなハイカラな面を持ち合わせていた。大阪最初のこの西洋式ホテル兼レストランを経営する草野丈吉が、彼に帰依していたからである」(p.61)

たったこれだけであるが、これを書くために川口居留地関係の書物を読み、大阪市立図書館まで行って話を聞いた。
佐伯蓬山は幕末に清国に渡ったことがある。当然長崎から船に乗ったであろう。長崎には興福寺、崇福寺、福済寺と黄檗宗の寺院があるから、当然立ち寄ったはずだ。長崎出身の草野との接点はその辺りにあると思われる。そのうちに時間ができたら調べてみよう。


ある大学教員の日常茶飯