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雨の長崎①

2012年06月19日
日曜日、長崎国際大学で開かれている「宗教と社会」学会の学術大会に部分参加するため、伊丹から長崎に飛んだ。仕事は、テーマセッションでコメンテーターを務めることである。二つ返事で引き受けたのは、ほかならぬT川さんの依頼だったからであるが、長崎という町に漠然とした憧れをもっていたからでもある。

だから日曜日の宿は、長崎市内に取った。ところが大学は佐世保市のハウステンボスの近所にあり、長崎市までは結構遠い。私はひょんなことから佐世保の早岐駅からJRに乗ったが、1時間40分はかかった。

学会については別に報告することにして、まず長崎である。

伊丹から長崎空港まではJALを使ったので、ついでにホテルもJALシティ長崎にしたら、これが大正解だった。新地中華街のエリアにあって、「どおおおすりゃ、いいの~よ」思案橋も遠くない。長崎といったら、グラバー園とオランダ坂と出島くらいしか思い浮かばなかった私であるが、有難いことにこれらがすべて徒歩圏内だった。

というわけで月曜日、早起きして雨模様の町に出た。

長崎といえば、私の中ではまず出島である。出島は、最後の訪問先だったが、まずこれから始めよう。

江戸時代の出島が再現されているとは聞いていたが、特に期待していたわけではない。ただ、出島の狭さを肌で感じればよいと思っていた。ところがこれが案に相違して、なかなかに面白かった。
だいいち建物が、映画のセットのようなものではなく、ライデン国立民族博物館に所蔵される「ボロモホフの出島模型」に基づいて再現された本格的なものだ。この模型、写真で見る限り、部屋の壁紙の柄まで再現した実に精巧なもので、当時の長崎の職人衆の腕の冴えを偲ばせる。

展示も興味深いものが多かった。例えば、オランダ東インド会社のVOCのマークが刻まれた銅貨。これは当時日本からの輸出品だった棹銅を切断してマークを刻印したものである。展示品解説によると、東インド会社は、オランダ本国から、貿易地で貨幣を鋳造することを許可されていたという。スリランカのゴールのことが思い出され、この二つの港町が海の道でつながっていたことが実感できた。

オランダ商館長(カピタン)の事務所兼住宅(カピタン部屋)には、「オランダ冬至」の祝宴の食卓が再現されていた。「オランダ冬至」は、禁教令のためクリスマスを大っぴらに祝えない彼らが冬至にかこつけて開いたお祝いである。「オランダ正月」ともいい、大槻玄沢ら蘭学者たちもこれを楽しんでいたことは、以前、何かで読んだことがある。

こういう知識が仕入れられたのも、傘をさして案内してくれたボランティアのおじさんのお蔭である。この人がまた素朴でなかなかよかった。私が「へ~」とか「おもしろい」とかいうと、いちいち、はっきりと喜んでくれるので、こちらも褒めがいがあった。

最後のところまで来て、

おじさん「昨日長崎はあいさい祭りだったんですよ」
私「愛妻祭り?へえ、なかなかいきな祭りじゃないですか」
おじさん「ここにも、あちこちに」
私「あ、なるほど」
小雨のなか、年季の入った夫婦が何組かそぞろ歩いている。愛妻祭りの余韻だろうか。
おじさん「…植えてるんです」
私「愛妻を植えてる?!」
おじさん「ええ、なにしろ市の花ですから、アジサイは」

そうしているうちに空港行きのバスの時間が迫ってきたので、おじさんには懇ろにお礼を述べて出島をあとにした。

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*グラバー園にあるプッチーニの像と紫陽花。
フィールドワークの記録
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