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高橋箒庵

2011年12月26日
高野山は昨日の最高気温がマイナス2.5℃だったらしい。おそらく今日はもっと寒い。


昨日電車の中で『白洲正子自伝』(新潮文庫)を読んでいて、おや、と思った。高橋箒庵(そうあん)の名前が目に飛び込んできたからだ。
この文庫本は、いつ買ったか記憶にないほど前に買ったものだが、最初の20ページほど読んだだけで放りだしていた。わがままいっぱいに育った華族のお嬢様の思い出話なんぞ…という気があった。改めて手に取ることにしたのは、この著者のものはやはり読んでおくべきだろうと思い返したからだ。案の定、気を入れて読めば、結構おもしろい。

「その頃東京には高橋箒庵と呼ぶ茶道のプロデューサーがいた。『大正名器鑑』を作成した人で、ああいう職業を何と呼ぶのか私は知らないが、桃山時代でいえば光悦のような教養人で(もちろん光悦ほどの才能も技倆も持ち合わせてはいなかったが)、建築や造園については広い知識があり、相談するには持ってこいの人物であった」(p.57)

ここでいう相談とは、著者の母から箒庵への、御殿場の別宅に庭を造りたいが、という相談である。箒庵は腕のいい庭師を紹介し、その庭師が箒庵の命令のもと手足のように動いて庭を完成させたという話になっている。

著者はこれ以上何も言わないが、箒庵は本名を高橋義雄といい、三井系の財界人で、同時に数寄者(すきしゃ)として知られた人物である。著者の父は、「益田鈍翁や三井家の人々と交遊があった」(p.54)という。高橋義雄も当然そういう交遊ネットワークの中に入っていたはずの人である。

高橋義雄の名前を知ったのは大分前だが、最近強く意識するようになったのは、U原君のおかげである。彼は今修士論文を書いているが、そのテーマが箒庵高橋義雄と深く関係しているのだ。私はこのテーマに以前から関心を持ち、ゼミ生の卒論に勧めたこともあるが、ものになりそうなのはU原君が初めてだ。









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