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岡本隆司『李鴻章―東アジアの近代』

2011年12月29日
まだ仕事に区切りがつかないので厳寒の御山に留まっている。仕事というのは、来年7月にソウルで開かれる学会での発表題目と要旨である。一応書き終わったのだが、これじゃいかん、まるで進歩がない、と自分でダメ出しして、もう半日やることにした。

こんな時なんだが、読み上げた本があるので、忘れないうちに感想でも書いておこう。

岡本隆司『李鴻章―東アジアの近代』岩波新書、岩波書店、2011年

李鴻章(1823-1901)は清朝末期の政治家で、「東洋のビスマルク」とも呼ばれた。状況は彼にビスマルクほどの活躍は許さなかったが、やはり並外れた大政治家だったというのが本書を読み終えての感想である。

本書の中で私は、日本との関係を述べたところがやはり一番面白かった。李鴻章は日本の台頭を警戒し、よく研究していた。彼は、日本による台湾出兵(1874)と琉球処分(1879)を通して日本を第一の仮想敵国とみなすようになる。しかし彼我の力を冷静に計る目を持っていて、日本との戦いはできるかぎり避けようとした。が、日清戦争では北洋大臣・直隷総督として矢面に立ち、敗れて、清朝にとっては過酷な下関条約に調印を余儀なくされる。

重要なのはここからで、李鴻章は、日清戦争の敗北を挽回するために日本との問題にロシアを引き込む工作をする。このことがその後の東アジアの命運を左右したと著者は言う。李鴻章は三国干渉を実現させ、さらに露清秘密同盟を結んで、東三省にロシアの勢力を引き入れた。そしてそれが「日露戦争・満州事変の出発点をなし、ひいては日中戦争をひきおこす原因となった」。
こういう流れの中で中国が被った惨害は計り知れないものがあるから、その引き金を引いた彼の責任は重大と言わなければならない。ただ著者は、当時の状況では、誰がやっても、ほかの選択肢はなかったのだと言う。そして、李鴻章の失策を言うのであれば、「日清開戦を導いた朝鮮への出兵が、(彼の)生涯最大の失策であり、そうならざるをえなかった、一貫した日本敵視こそ、そもそも失策というべきであろう」と述べる。

ここまで読めば、李鴻章という一個人の意思と行動が、実は日本の近代の歩みをも大きく左右したということが理解される。そして1945年の敗戦から時間をさかのぼってゆけば、別の未来につながるさまざまな岐路があったかもしれない、という思いに誘われる。

本書を読み進めるうちに「団練」「教案」「督撫重権」などの用語が自然に身についてゆく。何気ないが、これはかなりの工夫だと思う。

ところで、李鴻章は太平天国の乱の血と硝煙の中で恩師・曽国藩の幕僚として頭角を現した。後に金陵刻経処を作って清末に仏教復興運動を展開した楊文会(1837-1911)も曽国藩・李鴻章の幕僚であった。彼は出身が安徽省で、李鴻章と同じである。その辺の関係がどうなっていたかは、今度陳継東さんに会ったら聞いてみよう。

読書ノート
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