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益田池碑の台石

2008年09月06日
 ついでだから、これも紹介しておこう。
 熊楠が法龍に語るには、825年に大和の益田池の完成を記念して建てられた記念碑は、今は失われたが、その台砆は残っていて、それがなんと、高さ二丈五尺余、前面の広さ三丈二尺、側面の広さ一丈二尺余もあるという。台石がこんな大きさであることから推定すれば、碑石そのものは少なくとも十丈はあったと考えなければならない。十丈は、ニューヨークの自由の女神よりも高い、と(私曰、実は自由の女神の方がよほど高い。残念ながら)。


 この記録は『工芸志料』にあるというが自分は未見である、と熊楠はいう。そこで調べてみると、黒川真頼の『増補訂正 工芸志料』巻2に確かにそういう記録がある。

 益田池址には私も行ったことがあるが、はて、そんな巨石があっただろうか、と考えてみると、ああ、何だ、益田岩船のことか、と思いあたる。
 益田岩船はゾロアスター教の拝火壇だ、と喝破(?)したのは松本清張だった。学術研究の先端ではどう考えられているか、私には分からないが、満々と水をたたえた貯水池に影を落として巨大な石碑が立っている光景も、想像すれば、どうしてなかなかシュールではないか。
 益田池碑とくれば、弘法大師の「大和州益田池碑銘並序」1巻である。
 これは原物は現存しないが、平安中期の模写が残っていて、重文に指定されている。さまざまな書体で縦横無尽に書かれた、ちょっと類例のないような作品だ。


 この碑の建立の実態がどうであったかは、ひとまずおいて、上述のような巨大な石碑に弘法大師の筆になるこの銘文が刻みつけられていたと想像するだけで、私のイメージの中の古代がちょっと変わるように感じられる。
 ついでながら、この「大和州益田池碑銘並序」1巻も今霊宝館に展示中だから、興味のある人は見にゆこう。
  
 

 

 

 
研究ノート