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高野山大学学長、ダライ・ラマ法王と密教を語る(2)

2011年11月15日
続いて、私は日本とチベットの交流史について簡単に説明した。唐王朝の宮廷で日本の使節団が吐蕃(古代チベット帝国)の使節団と会ったという記録があるが、本格的な交流は明治維新以後に始まること。1890年代に日本仏教界にチベット・ブームが起こること。その目的は本当の仏教を探すことにあったこと。

私が、「1901年に日本人で初めてハサ(拉薩)に到達したのは河口慧海です」と述べると、

「おお、カワグチの名は聞いたことがある」との仰せであった。

慧海の後、西本願寺によって青木文教師とともにチベットに派遣された多田等観先生に触れたところでは、多田先生がダライ・ラマ法王13世より遺言によって贈られた仏伝図タンカ・セットの複製(『釈尊絵伝』学習研究社)を2枚ほどお見せした。現在花巻市立博物館に蔵されているこのタンカは、チベットの仏伝図の白眉というべき名品である。これを日本に贈れと命じた法王の思いは、世界に正しい仏教を弘めよ、ということにあったとされる。こういうこともお話させてもらった。

私の話を受けて法王は、これからの学術交流について積極的なご意見を述べられた。最後に未来に向けたメッセージが発信できたら、と考えていた私には、願ったり叶ったりのことだった。

ここでタイムアップ。ダライ・ラマ法王ウィークはついに大団円を迎えた。

法王をお見送りした後、最後にイヌイさんが閉会のあいさつに立ったが、万感胸に迫って言葉に詰まり、見ている人がもらい泣きをするほどだったという。私は楽屋にいてこれに気付かなかった。惜しいことをしたものである。

聴衆が去ってすっかりがらんとした講堂で、余韻に浸りながら後片付けの手伝いをした。その後どうやって曼荼羅荘に戻ったかはよく覚えていない。

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*静寂を取り戻した黎明館。



高野山大学の力