09月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫11月

ダライ・ラマ法王大阪特別講演の周辺(2)

2011年11月05日
螟ァ髦ェ蜈ャ貍斐∪縺ァ縲?螟ァ髦ェ蜈ャ貍・067_convert_20111105095729
*舞台袖から。立っているのはSP。

次に出番が来たのは、午後の講演の開始直後だった。法王様が午前中の講演について質問があれば受け付けると言われた。たちまちマイクの前に列ができる。

客席にいた私のところにI氏が走ってきて、質問がとんでもないことにならないように仕切れ、という司令部からの伝言を届けた。「とんでもないこと」というのは、私の理解では、一人で長々と時間を使ったり、自己宣伝を目的としていたり、政治的な発言を誘導しようとしたりするケースである。

すぐに駆けつけて、「質問は簡潔に、一人一問でお願いします」と頭を下げる。

結局余計な心配は要らなかったし、みんな辛抱強く自分の番を待ち、たとえ自分の前で質問時間が打ち切られても文句ひとつ言わなかった。法王様のよき感化と言えるかもしれない。   

この講演の最後にも質問時間があったが、この時ちょっと困ったのは、自分を優先してくれと言ってくる人たちがいたことである。すべて断ったが、その中に被災地の某大学の学生と名乗る若者がいた。「被災地から」という言葉にはよほど心を動かされたが、彼より前に並んでいる人は少なくない。みんなそれぞれの理由を抱えているはずだし、その中には外国人も混じっている。その人たちを飛ばしてあなたを優先させるのは、この状況ではちょっと無理だと説明して我慢してもらった。この判断はまちがっていなかったと思っている。

質問は終了予定時間の4時を回っても続き、質問希望者の列は思うように短くならなかったが、法王様自身が頃合いをみて、「ラスト・スリー・クエスチョン」「ラスト・トゥー・クエスチョン」という具合に仕切られたので、こちらは大助かりであった。

ところで、日本で法話と言えば、人生訓に仏教的な味付けをした程度のものが多いから、そのつもりで来た人にとっては、法王様のお話は、いささか面食らうものだったかもしれない。スタッフに「難しい」と言いにきた人が何人かいたらしい。う~む、こういう論法に慣れていない人にはそうかもしれない…しかし、「理のない仏教はない」のだ。そういう人の中からほんの数人でも、仏教哲学に興味を持ち、学ぶ人が出てきてもらいたいものだ。
高野山大学の力