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角谷大三郎

2011年08月21日
南方熊楠の大正11年の「上京日記」を読んでいて、おや、と思うことがいくつかあった。その一つがこれである。

角谷大三郎(すみや・だいざぶろう)。この人については以前このブログでまったく違う文脈で触れたことがある。それは、明治30年にチベット旅行に出発する直前の河口慧海のもとを訪ねてきて、「ばかなことはやめろ」と諭してくれた「今の和歌山の判事」としての彼である(ただし『西蔵旅行記』第三回の彼の名前には「かどや」のルビが振られている)。河口正の『河口慧海』によれば、角谷氏は、慧海がかつて禅の手ほどきをしたことのある人で、当時は大阪で弁護士をしていたという。

その人がどうして熊楠の日記に出てくるのか。それは、彼が、明治19年12月、熊楠がアメリカに渡る前に東京湯島で開かれた送別会の出席者の一人で、和歌山学生会の創立にもかかわっていたからである。熊楠と同時代に東京で学んだ和歌山中学の同窓生と見てよい。また彼は紀州藩士の家系であったようだ。

河口慧海と南方熊楠は、慧海が1歳だけ上という同時代人である。慧海は泉州堺の町場の生まれ、熊楠は和歌山城下で育ったこれまた都会っ子である。慧海を有名にしたのは、明治のチベット探検であり、熊楠もある時期チベットには大いに興味を持っていた。ところがこの二人を結びつけるラインというのはなかなか見つからないのである。
そういう中で両方を知っていた人物の存在は貴重である。大三郎氏のお孫さんの角谷さん(高野山大学卒業生)に連絡して、いろいろ情報をもらうことにした。
研究ノート