09月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫11月

南方熊楠とアジア

2011年08月09日
東北から戻った翌日の8月5日、高野山経由で田辺に向かった。この日から2泊3日の予定で南方熊楠顕彰館で開かれる南方熊楠研究夏季セミナーに参加するためだ。2時開始の予定なのでなるべく早く行かねばと思いながら、野暮用がかさんだ上、途中、雨で道が壊れたとかで、中辺路町に大回りを余儀なくされ、着いた時には2時を回っていた。私は時間に遅れるのが大嫌いであるからして、絶望的な気持ちにさいなまれつつ、それでも安全運転を心がけながら顕彰館近くまで車を進めると、郵便局前の道路を見たような人々がぞろぞろ歩いていた。

初日は、公民館の一室を借りて、新刊の論文集の合評会が行われた。その論文集がこれである。

アジア遊学
田村義也・松居竜五編『南方熊楠とアジア』(勉誠出版、2011年)

本書は、世界中の熊楠研究者の大半、つまり22人の研究者が執筆している。ずいぶん狭い世界でやっているようであるが、この本の中身は濃い。合評会には、勉誠出版の編集担当のY田氏も駆け付けた。

合評会
*合評会の現場。座り方にもそれぞれの個性が表われている。

合評会では、あらかじめ若手に分野別の批評を依頼してあり、それを軸に討論が行われた。こういうやり方はなかなかいいと思う。

合評会の後、ホテルにチェックインしてから、例によって「あじみ」に繰り込む。

二日目の午前中は、運転手となってM居先生、Y田さん、龍大大学院のS井さんを白浜の南方熊楠記念館に運んだ。久しぶりに行ったが、ここもなかなのところである。鬱蒼とした木々に覆われた小高い丘の上にあって白浜と田辺湾を見はるかすロケーションがまたすばらしい。
神島
*左上の双子島が神島。南方熊楠記念館の屋上から。

御製
*館の敷地内に立つ昭和天皇の御製の歌碑。「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」昭和37年に白浜に行幸された陛下が、33年前に神島で熊楠から進講を受けた時のことを回想して詠まれたもの。ここからは見えるはずもないが、神島の浜には熊楠の歌「一枝も心して吹け沖つ風 わか天皇(すめらぎ)のめてましし森そ」の歌碑が立っている。この二首を長い時を隔てて詠まれた相聞歌と喝破したのは鶴見和子であったか・・・

西林館長にご挨拶してから、館長の案内で館内を見て回った。最近この館では、粘菌の紹介に力を入れているというだけあって、展示の標本も、それから粘菌の中の原形質流動を撮影したビデオもなかなかのものであった。

田辺に戻って昼食をとり、午後2時から顕彰館でシンポジウム「アメリカ時代の南方熊楠」に参加する。これは第11回特別企画展「南方熊楠のアメリカ時代」に合わせたものである。
松居竜五氏(龍谷大学准教授)が展示説明とパネルディスカッションのコーディネーターを務め、パネリストが武内義信氏(和歌山城文化財専門員)と中西須美氏(名古屋大学大学院非常勤講師)、そして私だった。

おもしろいのは参加者からアンケートを募ったことである。これは例えば、「熊楠がアメリカ行きを決意したのは何が原因だったのでしょうか」など、熊楠のアメリカ時代のさまざまな側面に関する4つの質問に対して選択肢を用意して回答を求めるもので、なかなか決着のつかない問題について、衆知を集めつつ楽しく考えてゆくというナイスな趣向だった。

その晩は、南方熊楠顕彰会の人々と合同の宴会が「銀ちろ」本店で開催され、いつも通りの大盛況だった。

三日目、午前中は顕彰館で過ごし、お昼過ぎに帰途に就いた。充実した三日間だった。
研究ノート