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20ミリシーベルトでご免。

2011年05月15日
3月14日のことだったかと思う。コロンボのホテルの部屋でBBCかCNNで震災情報をチェックしていると、日本を逃げ出す日本人の親子なるものが紹介された。放射能が怖いから出国するのだという。その父親と娘の英語がやたら流暢なのに違和感を覚えつつ、「こんな日本人もいるんだ」と開いた口がふさがらなかった。いや、その少女に罪はない。しかし、いかにも、しれっとした感じの若い父親には反感を感じた。

翌日そのことをナンダセーナさんに話すと、ナンダセーナさんも、「ニャーナさんは日本に戻ったんですよ!」とi憤りを隠さない。確かに、ニャーナさんとその父親との間には、人間性において、天と地ほどの差がある、と私も考えた。

ところが、である。

その後の、東電、保安院、政府、学者、マスコミこぞってのドタバタ報道ぶり、情報操作と言われても仕方のない対応を見ていると、ああやって、とりあえず避難するというのも正しい選択だったのではないか、と思えてくる。

お上の言うこと、いわゆる大本営発表など、初めから信じていないだけ立派なのかもしれない。

この前、田辺で飲んだとき、C先生が言うには、先生は小学生の息子さんに「20ミリシーベルトでご免」と謝ったという。なぜならば、学校の校庭で年間被曝限度量20ミリシーベルトというのは、とんでもなく高い数値である。それを決めたのは政府だが、それを許した、あるいはそれを防げなかった責任は有権者であるわれわれにもある。そしてその被害を最も多く受けるのは、選挙権を持たない子どもたちなのだ。大人の一人として、今は、申し訳ないと謝るしかない、というわけである。

なるほど。これも世代間倫理というものであろう。電気はじゃかじゃか使いながら、原発行政には無関心であったという意味で、責任の一端はわれわれにもある。今はフクシマがこのまま収まってくれることを祈るしかないが、この問題の解決は、私たちの世代の責任として、果たさなければならない。





ある大学教員の日常茶飯