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ウェラワッタへ

2011年04月15日
午前5時、鐘の音で目を覚ます。

バルコニーから眺めると掃除が始まっていた。ダーガバを拝んでから、朝食をいただく。

キリバット
*これはキリバット。ココナツミルクで炊いたご飯を菱形に切ったもの。お祝いの時に食べる。

こちらでの所用はすんだので、コロンボ方面に戻ることにした。僧院長にお別れの挨拶をして、お布施を渡す。

チャンダシリ・テーローが記念の品として団扇をくれた。その気持ちを今もありがたく拝んでいる。私は何も上げるものがないので、予備のノートなどを手渡す。

コロンボは自動車の冷房が効かないほどの暑さだった。倉庫街の駐車場に車を止めて、マリバン・ストリートを再び訪ねる。いくつか確認するためだ。

この日はナンダセーナさんの自宅に泊めてもらう。10年前とは違う家で、その時の赤ちゃんが活発な女の子に成長し、その下に妹もできていた。歳月を感じた。この晩、隣村のニャーナさんのお寺で開かれた法会については、一番最初に報告した。

翌日は満月の日、ポーヤデイでスリランカは休日である。朝、5日分の支払いを済ませ、ナンダセーナさんにコロンボ南部の海に面したウェラワッタのグローバルタワーズ・ホテルまで送ってもらう。

ウェラワッタは、善連法彦、東温譲、川上貞信、小泉了諦、朝倉了昌、徳沢智恵蔵の留学生6人が一時共同生活をしていた場所である。またその少し後には村山清作がパーマンカダ・ウィラクーンという家に下宿していた。明治27年にスリランカを訪れた土宜法龍は、その場所がウェラワッタでも山側の寂しいところと報告している。

村山は一時、ロンドンの南方熊楠と文通してスリランカの植物を送ったり、逆に熊楠から洋書を送られたりの付き合いをしていた。田辺の南方熊楠顕彰館には、村山から来た手紙が10通ほど保管されている。

村山は当時はただ一人の僧侶ではないスリランカ日本人留学生だった。彼はヴィドヨーダヤ・ピリウェナなどでパーリ語を学んだが、帰国後は銀行業界に転身した。彼は四国の今治の出身で、四国に因んで四洲と号していた。来月、今治まで行く用事があるので、熊楠の日記にある住所を尋ねてみようと思っている。

グローバルタワーズはなかなか快適なホテルで、道路と線路をまたいだところがビーチになっている。行ってみると、椰子の木陰はたくさんのカップルに占領されていた。

ウェラワッタビーチ

ウェラワッタ駅
*ウェラワッタ駅。

留学生たちがウェラワッタを選んだのは、海に面していて比較的涼しくて過ごしやすいことに加えて、ヴィドヨーダヤ・ピリウェナに通学するのに汽車が利用できたからである。ウェラワッタ駅で乗って、マラダーナ駅で降りると、学校は近い。
列車
*列車は急行から各駅停車まで結構頻繁にやってくる。波の音で列車が近づく音が消されるから、線路の横断には注意が要る。


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