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ゴールのフォート

2011年04月10日
レディーヒル・ホテルは、その名の通り、小高い丘の上にあった。チェックインして2時間ほど休んでから、行動を再開。
なにはともあれ、フォートに向かう。ゴールは古くはアラビア人による東方貿易で栄え、その後、ポルトガル、オランダ、イギリスと支配者が入れ替わるたびに整備されてきた。その中心はインド洋に突きだした小さな半島全体を要塞都市化したフォートである。

またゴール港は、イギリスがコロンボ港に長大な防波堤を築き、西南モンスーンの激浪を防いで、大型船が安全に停泊できるようにするまでは、東西航路のスリランカでの寄港地だった。
ゴール旧観
*ゴール港旧観(ゴール国立博物館)

明治5年1月、西本願寺が派遣した欧米視察団の一行もこの港に立ち寄っている。その際、一行の一人、赤松連城(あかまつ・れんじょう)が上陸して、パラマーナンダ寺を訪ね、ブラットガマ・ダンマーランカーラ・シリスマナティッサと交流したことが、その後の日本仏教界とセイロン仏教界との交流のきっかけとなったのである。このことについては後に述べる。

ゴールの外壁
*外洋に面した城壁。2004年のインド洋大津波でゴールの下町は壊滅的な被害を被ったが、フォートはこの城壁のおかげで、浸水程度で助かった。

フォート2

フォート3
*バスで見学にきた女子生徒たち。みんなとっても元気そうで、たいへんよろしい!

時計塔
*フォートのシンボル、時計塔。「ルパン三世 カリオストロの城」に出てきたような年代物だ。

star bastion
*フォートの防衛施設の一つ、スター要塞。この海の向こうから、アラビア人、ポルトガル人、オランダ人、イギリス人がやってきた。みな一攫千金を夢みて。

この海には明の永楽帝に派遣された鄭和の大艦隊が浮かんだこともあったはずである。鄭和碑か
*ゴールで発掘された15世紀初頭の石碑。漢語、ペルシア語、タミル語で書かれており、鄭和が建立したものとも言われている。(コロンボ国立博物館蔵)

夕食は、二人で海岸通りに沿ったシーフードの店で食べた。私は、三度三度、カレー中心のスリランカ料理で一向に構わないのだが、ナンダセーナさんが食事の度に何が食べたいか聞くので、つい、それじゃ今夜は中華にしますか、などといったのがきっかけだった。まあ、味はともかく量はありました。






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