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成田空港まで(1)

2011年03月24日
伊丹から成田まで乗る予定だったJAL便が欠航になったことを知ったのは11日の午後9時頃だった。理由は機材が来ないから。JALはJALで日本のいろいろな空路で飛行機を使い回している。それが地震の影響で、回せなくなったらしい。

さっそくKRK山本さんに電話で相談すると、山本さんは、6:55発の関空?羽田ANAに予約を入れてくれた。プレミアムクラスしか残っていなかったので、少々高いがこの際やむを得ない。結果から言うと、これが勝負の分かれ目だった。

それまでは、こんな時に出かけてよいものか、という後ろ向きの気分に支配されていたが、この辺りから何としても行かねばならぬ、という気になる。幸い山形の母には、地震発生直後に電話が繋がり、無事が確認できている。長女からは、京都に来ているとの連絡が入った。

テレビを見ながらのパッキングに時間が掛かり、寝たのは午前2時。2時間後には起きて仕度をし、泉ヶ丘のバス停に向かう。5時5分のリムジンバスに乗り、1時間弱で関空へ。私の住む堺南部は関空への地の利がすこぶるよい。

国内線のカウンターに行くと、すでに大勢の人々が詰めかけていた。しかしプレミアムは席が少ないし、優先される。これもよかった。列に一緒にならんだ女性に声をかけて情報交換すると、何と彼女は昨日アメリカから飛んで来たユナイテッド航空機に乗っていて、地震のために成田ではなく、米軍横田基地に下りたのだという。そこから入国というのはさすがにできないので、今朝また関空に来て入国手続きをし、再び関東に向かうというわけだ。

定刻ぎりぎりで機内に入ると、「お待ちしておりました」と客室乗務員に声をかけられる。離陸してしばらくすると、朝食が出てきた。飛行機は少し遅れて羽田に着く。

羽田?成田のシャトルバスが運行停止になっていることは分かっていた。山本さんにもその先は分からない。とにかく出たとこ勝負で成田に向かえ、とアドバイスを受けている。こういう時(といったって、こんな場合がそうそうあってたまるものではないが)は、とにかく走りながら考えるしかないのだが、ANAの係員から成田の状況を聞くのに随分時間がかかった。むろん彼女たちは親切心から精一杯の連絡をしてくれたのだが。さらにその下のインフォメーションでも同じ事で時間をくう。情報は錯綜しており、成田は閉鎖された、JRはシャッターが下りている、京急に乗っても途中までしか行けない等々、どの道を選んでよいのか分からない。

結局、モノレールの切符売り場の前で客を誘導していたおじさんの言を信じることにする。

「モノレールで浜松町まで行ったら、山手線が動き出しているからそれで東京まで行き、地下に下りて、総武快速で千葉まで行け。そこから先のことは行ってから考えろ。ぐずぐずしていると飛行機に乗り遅れちまうぞ」


フィールドワークの記録