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西太后

2011年02月15日
前にも書いたが、田中裕子の西太后は相当いい。「蒼穹の昴」の話である。近頃はあまり視る機会がないが、たまたま視たときには、早く田中太后が出てこないかな、とそればかり思う。他がつまらないこともあるが。

西太后は1861年にクーデターで粛順一派を打倒して権力を握った。最初は東太后、恭親王との寡頭制だったが、やがて性格の強い彼女が主導権を握った。1898年には再びクーデターを起こして百日維新をつぶし、甥の光緒帝を幽閉した。1900年の義和団の乱では八ヶ国連合軍の北京攻略によって西安に逃れたが、そこでも北京にいる時と変わらない贅沢三昧の暮らしをしたあげく、なぜかみごとに復権し、1908年に没するまで権力の座にあり続けた。実に半世紀近くの間、清朝を支配した女傑なのである。

中国では歴史上の人物を善玉と悪玉に色分けするのを好むようだ。その伝でゆくと、西太后は悪玉中の悪玉、底知れぬ権力欲に取りつかれた中国史上最大級の悪女である。だがそれだけに注目度も高い。

その役をいまだに「おしん」で人気の高い日本の女優が演じる。中国人はどんな思いでこのドラマを見たのだろうか。

私が西太后に興味を持つのは、私の好みの人物たちが駆け回る舞台の一つが1900年前後の中国であるからだ。
1900年の義和団の乱に際して、北京の東交民巷の外国公使館区域に籠城し、日本人義勇軍の一人として戦った川上貞信(かわかみ・ていしん)はその一人だし、籠城者救援のために出動した広島第5師団に通訳官として加わった寺本婉雅(てらもと・えんが)もそうだ。驚くべきことに、寺本は、醇親王派遣の大官らと共に密かに西安に至り、「(光緒皇帝と西太后に)日本軍の清朝に対する誠意の存するところを上奏し」、北京への帰還を勧めたという(寺本『蔵蒙旅日記』p.357)。寺本は1907年11月に青海のタール寺でダライ・ラマ13世に拝謁した時にも、もし北京に参朝する意思があるならば、日本の官憲が協力すると約束している。いずれもきな臭い話であるが、調べてみる価値はありそうだ。
研究ノート