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去りゆく仏

2011年01月24日
京都S寺の有名な釈迦像が今度天竺に帰ることになったと聞いたので、大阪南港まで見送りにいった。桟橋にはすでに大勢の老若男女がつめかけていた。

お釈迦さんはと見れば、小舟の舳先に立って群衆に手など振っている。

その姿はなぜか、あのせんと君の着ぐるみから角を取ったようなものであった。

私は、『お釈迦さんは日本を見捨てるのだろうか』と考えた。

すると彼はこちらを振り返り、丸い目をぱちくりさせて、こう言った。

「チョーネンさんの案内で、この国に渡ってきてから1000有余年、土着の神々さえこの国を出て行くご時世に、私もこの辺が潮時と思うばかりだ。神仏は遊行するものだから、いつかまたこの粟散辺土に舞い戻ることもあろう」

ああ、日本人がお釈迦さんを捨てる前に、お釈迦さんが日本人を捨てるのだ。こう思ったところで、地下鉄が淀屋橋駅の構内に滑り込んだので、私は白日夢から醒めて座席を立った。

日曜日に小峯先生にいただいた『中世日本の予言書―<未来記>を読む』(岩波新書)には、いたるところに興味深い話が出てきて、想像力を刺激される。安元の大火(1177)から一年ほど後、都に嵯峨の釈迦仏が天竺に帰るという噂が立った、というのもその一つである。これを伝え聞いた都人の受けた衝撃はいかばかりであっただろうか、と考えているうちに、こちらにまで彼らが感じたであろう喪失感が伝わってきたようだ。

研究ノート