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『チベット巡礼探検家 求道の師 能海寛』

2010年10月24日
私が『山陰中央新報』に投じた書評が記事になったと、能海寛研究会の岡崎秀紀会長が知らせてくれた。これは岡崎会長を通じて依頼を受けたものだが、書評の対象が外ならぬ隅田正三さんの本だから、喜んで引き受けた。以下にその原稿を掲げる。

『チベット巡礼探検家 求道の師 能海寛』USS出版、2010年

「能海寛(のうみ・ゆたか、一八六八―一九〇一?)は、島根県那賀郡東谷村(現・浜田市金城町長田)出身の浄土真宗大谷派の僧侶で、当時鎖国体制下にあったチベットへの入国を試みて、中国雲南省の奥地で消息を絶った人物である。
 明治二〇年代、改革の意気に燃える仏教青年たちの間にチベット・ブームが起こり、チベット探検に名乗りを上げる者が次々に現れた。それは、仏教の原点たる釈迦牟尼(しゃかむに)の本当の教えを明らかにし、立て直しを迫られていた明治仏教界の改革と発展の起爆剤にしようとする運動の一つであった。だが彼らの事績は、『チベット旅行記』で知られる河口慧海(かわぐち・えかい、一八六六―一九四五)の場合をほとんど唯一の例外として、世間一般からは長く忘れられてきた。能海もそうした者の一人であり、その志は、自坊の浄蓮寺とその別宅にしまい込まれた膨大な資料と共に埋もれていた。
 本書の著者は、四〇数年前に能海に興味を持って以来、同郷のこの人物の顕彰に半生をかけてきた。すなわち、新資料を発掘して能海の再評価のきっかけを作り、講演や執筆を行い、能海寛研究会を立ち上げてその事務局長を務め、『能海寛著作集』全一七巻(USS出版)の出版を実現させてきた。能海と島村抱月の顕彰を軸とした社会教育活動にも携わり、二〇〇〇年には、会長を務める波佐文化協会がサントリー地域文化賞を受賞している。
 本書は、二〇数年前に出版された同名の著書に大幅な改訂をほどこしたものであり、右に述べたような著者の活動の現時点における決算報告書となっている。その内容は、能海の伝記、図版、著作、書簡、資料目録、略年譜など多岐にわたり、時には雑然とした印象も与えるが、いずれもこれからの能海研究には必要な基礎データである。
 本書において著者は「能海学」の構想を明かしている。その実現は地元の人々と全国各地の研究者との連携なくしてはありえない。つなぎ役としての著者の今後の活躍が期待される。」

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*波佐のときわ会館の敷地に立つ能海寛の歌碑(2009年7月撮影)。「ものかはり星うつりける今の世も尚みどりなる城山の松」1900年2月8日に中国四川省のダルツェンドで詠んだもの。

能海は、終戦前後までにチベットに入った日本人の中で唯一人、生きて日本に帰ることのできなかった人物である。しかしその思いは、隅田さんを始めとする地域の人々に受け継がれている。
研究ノート