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シムラ会議

2010年09月29日
9月13日 これが最後
シムラーで何かみたいものはありませんか。こう聞かれた私は即座に、シムラ会議が行われた場所と答えていた。(シムラーとシムラを混ぜているが、教科書的にはシムラ会議なので使わせてもらう)
シムラーで合流した現地ガイドのヴィピンさんが、それでは明日まずそこに案内しましょうと答える。そのため7時出発のはずが、いきなり9時に変更。ちょっとわがままだったが、次にいつシムラーに来られるか分からないから、見るべきものは見ておきたい。

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*ヴィピンさん。マナーリー出身の29歳独身。まじめでなかなかの男前だ。

シムラ会議とは1913年から14年にかけてシムラーにイギリス、中国、チベットの代表者が集まってチベット問題を討議した会議である。この会議ではついにチベットの独立は認められなかった。この時、イギリスとチベットだけの調印で、インド北東部とチベットとの国境線が決定された。これが有名なマクマホン・ラインである。これは、その後のチベットとヒマラヤの運命を決定づけた歴史的会議であった。チベットに関心を持つ人間がその場所を確認しておきたいと思うのは当然であろう。

ところがその晩、モールと呼ばれる商店街の本屋で買った「シムラー本」をぱらぱらめくっていて気がついた。私が言うシムラ会議(Convention)と彼らが思っているシムラ会議(Conference)はどうやら別物だ。後者もインドにとってはすこぶる重要な会議だったらしい。ままよ、この際、シムラー最初の建築物とやらを見ておくのも悪くない。

9月14日(火)
Viceregal Lodge
これがその旧・副王ロッジ(Viceregal Lodge, 現Indian Institute for Advanced Studies)。ホテルから10数キロ離れたオブザーヴァトリーヒルの上にそびえている。なんちゅー立派な建物だ。この場合の副王とはインド総督を指す。大英帝国によるインド支配を象徴する建物といえる。

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*吹き抜けの堂々たるエントランスホール。木材はビルマ産のサーラ樹が用いられている。ちなみにこの建物の石材には、ベルギー産のサンドストーンやインド産のライムストーンが使われている。
conference room
*会議室。ドイツが降伏した翌月の1945年6月、インド総督ウェーヴェルに招集されたインド各派の代表がここで会議を開いた。これが「もう一つの」シムラ会議。この会議、ネルーらの率いる国民会議派とジンナ―の指導するムスリム連盟との対立によって決裂。これが1947年のインドとパキスタンの分離独立に繋がった。まさにインド亜大陸数億の人々の運命を左右する大会議だったわけである。
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*会議に出席した後、ロッジを出てきたジャワハルラール・ネルー(右)とサルダール・パテル。
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*ロッジの近くで民衆の熱狂的な歓迎を受けるM.K.ガンディー(マハートマ)。人々がガンディーの足に触ろうとしていることに注意。最大の敬意表現だ。

この建物とそれが持つドラマチックな歴史に皆満足したと思う。ところが気がつけば11時を回っている。はよ、つぎ行かな!
というわけで最初の予定よりも4時間遅れでシムラーを出発した。
フィールドワークの記録