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学会、発表会、研究会

2010年07月19日
呉線車窓からの眺め
*呉線の車窓から広島港方面を見る。

学会、発表会、研究会。どれも似たようなものだが、これが3日の間に高野山、京都、島根で開かれ、その全部に出席するとなるとただごとではない。

7月16日(金)11時34分、高野山駅にヴィータ先生をお迎えし、一の橋の喫茶店で昼食。そのあと学校にお連れし、応接室で時間を待つ。1時半、講演会開始。30分ほど聴講したところで、会場をそっと抜け出し、京都に向かう。
 避けることができないバッティングだった。今日はK?GURSのチェーンレクチャーの締めくくりに各大学院代表による院生論文発表会が4時20分から大谷大学で開かれる。ヴィータ先生は私が声をかけてお越し願った。その張本人が都合で不在では失礼極まりない。しかしK?GURSの今年最大級の行事に議長が欠席しては格好が付かない。そこで苦悩の末に選択したのが、中座して途中から出席というおきて破りすれすれの荒技であった。むろんヴィータ先生には、この前研究所をおたずねした際に重々ご説明、お詫びしている。

6時前に大谷大学に辿り着く。教室は満員の大盛況だ。しばらくして高野山大学大学院選抜のK田君の出番となった。評議員は、自分のところの院生の発表の司会をしなければならない。
「え?、K田さんは高野山大学大学院博士後期課程に所属し、学術振興会特別研究員にも選ばれておりまして…『南方マンダラ』というのは…」とか何とか話しているうちに発表の準備も整ったようだ。

「あのですねえ、絶対者と表象された「名もなきもの」から精神原理と物質原理が流出するというか、自己分節するわけでですね…それで、オクヤマ先生と私と早稲田大学の…はい、次の図行ってください」
(おいおい、よその院生はみな原稿読んでるっちゅーに)

彼の発表の後に、一言付け加えておいた。
「何だかグルになってやっているみたいですが、私と彼とはあくまで別人格でして」(笑)

発表会は盛況のうちに閉幕。その後、同じ建物の1階のカフェー、その名もビッグバレー(大谷)で懇親会。主に大谷のRさん、同志社のSさんとの話で盛り上がった。Rさんは「高野山大学では優秀な若手がたくさん育っているようですねえ」とコメント。
彼は皮肉やおべんちゃらを言う人ではないから、これは字義どおりに受け取ってよい。

懇親会は9時過ぎに終了し、大谷大学の評議員のN塚、O田両先生に厚く御礼を述べて大学を後にした。

7月17日(土)6時半に家を出て高野山に向かう。密教研究会二日目の司会が当たっているからだが、それでなくとも、昨日中座した手前、今日は顔を出しておきたい。発表は午後1時にはすべて終了。すぐに御山を下る。明日、島根県浜田市金城町波佐で開かれる能海寛研究会年次大会に出席するためだ。

新大阪から山陽新幹線に乗り、広島下車、呉線の通勤ライナーに乗り換えて、呉で下りる。すでに7時を回っているので、大和ミュージアム(もちろんこれダイワじゃない。呉で建造された世界最大の戦艦大和と日本海軍の記念博物館)には入れない。明日は江田島の旧海軍兵学校が一般公開されるとも聞いたが、今回は残念ながら見送らざるをえない。

呉に泊まるのは前日の朝に考え付いたこと。連休のせいか広島のビジネスホテルはどこも空きがない。最初は岡山か倉敷に一泊を考えたが、ふと思いついて、かつての東洋一の軍港を訪ねることにしたのである。
呉港
*呉港。対岸は江田島。

7月18日(日)6時半に宿を出る。広島駅新幹線口から8時発の浜田行き高速バスに乗車。10時過ぎ浜田着。10時半、石見バスの波佐行きに乗る。結局、乗客は最初から最後まで私一人だった。そこで運転手さんに、東谷下までね、と告げる。といっても、別に早く行ってくれるわけではないが。
私「ときわ会館って、東谷下下車ですよね」
運転手「はあ、そうですが。ときわで何かあるんですか」
私「能海寛(のうみゆたか)研究会ですが、運転手さん、能海寛って知ってますか」
運転手「知ってますよ。確かチベットですよね。私金城町出身なんで、小学校で習いました」

この答えには正直驚いた。何となく知ってはいたが、この辺りでは能海寛が小学校の教材にまでなっている。なかなかまねのできないこの芸当も、つまりはS田さんはじめ地元の人々が長年顕彰に努めてきた結果なのだ。こういう草の根的なやり方もあるし、ここではそれが成功を収めている。

今回のメインスピーカーは龍谷大学元学長の上山大峻先生。先生の研究の歩みをご本人の口から直接聞けるというめったにない機会だった。O崎、K本両氏の発表もなかなかだった。私のは「東温譲と川上貞信」という題。最初は発表申し込みをスルーしていたのだが、S田さんが電話してきて、「他の人もするけー、あんたも一つ…」と言われて、ついその気になり、返事した後になって、どうやって行ったらいいのだ、としばらく悩んだ。車かなとも思ったが、知らない道を400キロも行くのはしんどい。そこで上記のような行程になった次第。

夕方、広島に戻る会員の車で広島駅まで送ってもらった。
















 
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