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その名も高き土宜僧正―『高山寺蔵 南方熊楠書翰』余録?

2010年04月05日
2010ロンドン・パリ 605
「夕に巴里の月を見て…」(ノートルダム大聖堂と月 ちょうどいい写真があったので追加)
法龍の世界一周が当時の真言関係者に与えたインパクトはとてつもなく大きかったようである。

彼は旅先から事あるごとに日本に手紙を送り続けていたから、彼の行動は、数十日遅れではあったが、『伝灯』(現『六大新報』)や『明教新誌』を通じて全国に知れ渡っていた。

そのため、彼が1894年6月末に帰国した時にはまるで凱旋将軍を迎えるような騒ぎになった。真言宗の人々にとって法龍は、日本の仏教徒の先頭に立って世界に雄飛し、西洋人に大乗の妙味を教えながら地球を闊歩してきたわれらが英雄であった。

同じ真言宗の山縣玄浄が彼にささげた賛歌は、彼らの驚きと興奮をよく伝えている。

 真言宗の僧にして    仏教界に独歩せり
 日本国の人にして    六大洲に雄飛せり
 その名も高き土宜僧正  歓び迎ふるもろ人は
 天にのぼりし龍王の   降臨し玉ふ心地すれ
 米利堅(めりけん)しかごに開かれし 万国宗教大会議
 無上の真理を演説し   喝采湧くが如くなり
 三衣一鉢身は軽く    世界漫遊なさるるに
 東洋無双の碩学と    至る処に仰がれぬ
 晨(あした)に眺むる倫敦の 開きし花に感じつつ
 夕(ゆうべ)に巴里の月を見て 天に祈りて思ふには
 如来の白毫いつかさて  これこの都に輝かん(後略) 

どうです。実に颯爽たるものでしょう。

ところが旅行中の彼は、もの慣れないために、トンマな失敗をいろいろやらかし、何だか結構かわいらしいのである。(つづく)
  





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