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アーノルドの妻―『高山寺蔵 南方熊楠書翰』余録?

2010年03月29日
サー・エドウィン・アーノルド(1832-1904)は、釈尊を主人公にした叙事詩「アジアの光」の作者として知られる詩人ジャーナリストである。彼の三番目の妻は、黒川玉という仙台出身の女性であった。これが熊楠のいう「ブラックリヴェルのお玉嬢」である。

法龍は1893年10月29日にケンジントンの自宅にアーノルドを訪問した折に玉にも会っている。アーノルドは仏教徒によるブッダガヤー回復運動に先鞭を着けた人物であり、日本に長期滞在したこともあったから、日本仏教界でも名士として知られていた。

この時、法龍は玉がまさに女主人として振舞うのを目の当たりにして、ちょっと驚いたようである。当時ロンドンの日本人社会は今とは比較にならないほど小さかった。その中で玉は、何かと話題になる人物であったと思われる。

1897年、広島出身の高橋謹一という男が、熊楠の紹介で、一時アーノルド邸の食客となった。ところがこの男、大飯ぐらいの大酒飲みである上に、西洋式のマナーなど少しも気にかけず、かえってゴリラの真似をして下女たちを怖がらせた挙句、玉と大喧嘩してアーノルド邸を放り出される。その時に玉に向かって吐いた悪態を熊楠は次のように記録している。

「汝はわれと同国人なるに、色をもって外人の妻となったるを鼻にかけ、万里の孤客たるわれを軽んずるより下女までも悪態を尽す」(平凡社版『南方熊楠全集』第1巻、p.555)

まったくどうしようもない奴、で話はしまいなのだが、このセリフには、富豪の男爵夫人となったこの同胞女性に対する熊楠の、さらに言えばロンドン在住の日本人たちの一種屈折した感情を読み取ることもできるように思われる。
研究ノート