05月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫07月

孫文との交友―『高山寺蔵 南方熊楠書翰』余録?

2010年03月23日
ロンドンでの熊楠と中国革命の父・孫文との交友はよく知られている。

1897年6月19日、二人はキュー王立植物園に遊びに行き、帰りにアールズ・コートの「楽園」(遊園地のことだろう)に立ちよった。熊楠によると、それは孫文の希望で、彼はしきりに迷路(メイズ)に入りたがる。熊楠は、そんなことをするよりも一杯やろう、と主張したが、孫文に押し切られて、二人は中に入った。ところが2時間経っても中心部に着くことができない。そればかりか外にも出られない。孫文は、どこぞの垣根を破って行こうと言い出した。その時、熊楠先生、あわてずさわがず、彼を制し、こっちを見て笑っている警備員にチップを渡して出口まで案内させたという。

熊楠がこの話を法龍宛の書翰(『高山寺蔵 南方熊楠書翰』第26番)に図解入りで書いたのは、5年後の1902年のことである。

アールズ・コートはロンドン中心部の西に位置する交通の拠点である。そんなところに遊園地があったのだろうか、まさかキュー植物園のメイズと混同しているのでは? こう思った私が、孫文記念館の武上氏に聞いてみると、氏は、アールズ・コートには1895年に開かれたオリエンタル博覧会の跡地があり、博覧会の呼び物だった大観覧車が残っていたはずだと教えてくれた。観覧車がある位なら、メイズがあってもおかしくはなかろう…妙な理屈だが、この位にしておくことにした。ただし、氏によれば、孫文は垣根を破っちゃうような人ではないとのこと。念のため。
2010ロンドン・パリ 451
*地下鉄アールズ・コート駅前のビル。
研究ノート