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「熊楠のロンドン」散策

2010年03月04日
20日、熊楠ゆかりの場所をめぐる市内散策の日。
大英博物館を見るのは今日しかないので、午前中は博物館で過ごす。田村さんが辛抱強く付き合ってくれた。
2010ロンドン・パリ 217
1893年11月1日、土宜法龍は、A.W.フランクスの案内、熊楠の通訳で博物館の仏像や仏具、ヒンドゥー教の尊像などを見ている。この日私が見たものの中にも法龍が好奇心をもって眺めたものが含まれているはずである。
昼食は博物館前のパブに入り、田村さんの推奨でジャケット・ポテトのツナマヨかけを賞味する。田村さんは留学時代これが好物だったという。大きなポテトを皮ごと茹でて、二つに切り、でれっとトッピングしただけという実にシンプルな料理である。あとはご覧のようなサラダが付いている。分量だけは、お腹いっぱいになるほどあった。イギリスは「おいしい」・・・・
2010ロンドン・パリ 340

博物館に戻り、ブックショップで本を買っているうちに、集合時間の1時となる。

2010ロンドン・パリ 344

旗をこしらえておいた方がいい、という冗談が冗談にならないほどの人数が集まっていた。われわれのグループを除けば、ほとんどがロンドン在住の日本人で、特にガイド・通訳をやっている女性が多かったようだ。そういう人が熊楠のロンドンに興味を持ってくれるのはよいことだ。ロンドン観光にきたお客さんに、とっておきの話として熊楠の話をしてくれれば、その波及効果は決して小さなものではないだろう。

まず大英博物館内でゆかりの品を見てから、バスでベイズウォーターまで移動。クイーンズウェイに、熊楠が「クレムミー嬢」という、以前別のパブで見染めたバー・メイドに偶然再会したパブの跡を窺う。その一部始終は熊楠のいわゆる「ロンドン私記」(『南方熊楠 珍事評論』平凡社、所収)に物語られている。この「ロンドン私記」、何とも言えぬ奇妙な文書だが、私はれっきとした文学だと思っている。

その後、ハイドパークを南に下り、ヴィクトリア&アルバート博物館まで歩く。かなりの距離だが、BBCの雨の予報が外れたのが幸いだった。一行にはBBCの清水さんもいたが、「BBCの天気予報はいつも悪い方の予測を流すのですよ。晴れて怒る人は、まずいませんから」とのことであった。清水さんは著名なシャーロキアンでもある。
2010ロンドン・パリ 414
V&Aの図書館。他の閲覧者とトラブルを起こして大英博物館を追い出された熊楠はここに通って抜き書きに励んだ。雰囲気は当時のそれとさして変わらないと思われる。閲覧証を持たない者は入室御断りのところ、清水さんが交渉してくれて、見ることができた。

熊楠が5年ほど住んだブリスフィールド・ストリート15番地はV&Aからさほど遠くないところにあった。
2010ロンドン・パリ 439
一番右手前の家がそれで、熊楠は二階にいたというから、日本でいう三階が彼の住居だったと思われる。
散策はこの近所のパブで乾杯して解散になったが、小峯先生と田村さんと私には続きがあった。昨日今日とこの企画に参加された田中恵子先生のお宅に招待されたのだ。そこはテムズ河畔の結構な住宅街で、田中亮三先生(慶応大学名誉教授)に迎えられ、ディナーを頂き、楽しいお話を伺った。
亮三先生はイギリス貴族の研究もされていて、去年も『図説 英国貴族の暮らし』(ふくろうの本)を出版されている。

すっかり御馳走になり、帰りはバスでアールズ・コートまで出て、そこから地下鉄に乗った。アールズ・コートは、熊楠が孫文と一緒にキュー植物園で遊んだ帰りに立ち寄った場所として「高山寺資料」の一書翰に出てくる。彼らはここの遊園地の迷路(メイズ)に入って楽しんだというが、今はそんなものは何もないらしい。今回は何を見ても熊楠、熊楠だが、次に来た時には、別の文脈で楽しみたいと思った。

フィールドワークの記録