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タワンへの旅(1)

2009年10月07日
なにしろ正味3日しかない。中国から帰国した翌日には学校に出て、留守中にこってりと溜まっていたメールの整理と対応に追われる。K-GURSの発行する『京都・宗教論叢』の巻頭言の執筆も締め切りが迫っていた。チケット代の支払いもまだだったので、KRKの山本さんに送金。その間に総選挙の結果などにも目を通す。結果は中国でもわずかながら報道されていたので、さほど驚きはしなかったが、留守の間に体制が変わってしまったことに不思議な感じを覚えた。

それやこれやでろくろく睡眠時間もとれず、山を下ったのは前日の10日。途中でタイフーン氏宅に寄って、餞別がわりにもらった絹とウールの五本指の靴下の礼を言い、手土産を渡し、泉ヶ丘の銀行に行ってアメリカドルを1800ドル買う(インドはやはりドルだ)。旅装もほとんどそのままで、なんとか準備を終わり、翌9月11日の朝9時には関空の国際線のフロアーに舞い戻っていた。

そこでI 本さんと合流し、バンコクまで飛んで、空港のターミナルで長い待ち時間を過ごす。バンコクのSuvarnabhumi空港はいつもながら活気にあふれている。これに比べれば関空の寂しさは際だったものだ。そこに日本という国の凋落の未来を見る、といえば大げさになるかもしれないが、二本目の滑走路まで造って大丈夫かという気はする。

ようやく時間が迫り、出発ゲートで待っていると、成田から来たK合さんがひょこひょこ現れた。

いつも通り、真夜中にコルカタについて入国手続きを済ませ、両替をして、プリペイド・タクシーで空港近くのシェーラズに直行。運転手が荷物代の上乗せを要求してくるが、そこはコルカタ5年留学のK合さんが逆に値切り倒して一件落着。とはいえ、コルカタのタクシーは油断も隙もない。お金は決して前払いしない、後で渡す、が鉄則だそうな。

翌朝、ホテルの従業員にまとめてチップを渡すときも、K合さん、50ルピーで済ませる。彼らが「アンドーさんは100くれたぜ」と文句を言っても、「われわれはアンドーさんの子分だから50しか渡せない」とすずしい顔で乗り切っている。このおじさんの「インド力」はそうとうなものである。

*急告!!今日から、このブログの画像があちこちで見えない事態が発生しています。今のところどうにもできず、様子を見るしか手がありません。なにとぞご理解の程。
Arunachal 2009.9 004
*これ昨日は全然アップロードすることができなかった。どうなってるんだか・・・見えます?



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