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ナンジョーに譲るよ

2009年04月29日
笠原は、亡くなる前の年、欧州からの帰りにセイロン(現スリランカ)に立ち寄り、2週間の間にヒッカドゥウェ・スマンガラをはじめとする僧侶たち、ドン・アンドリス・ペレーラ(アナガーリカ・ダルマパーラの祖父)などの神智協会コロンボ支部の人々と交流した。

 帰国の船に乗ろうとする彼に、セイロン人たちは、近々お祭りがあるし、オルコット大佐もやってくるから、仏子たるもの、もう少しセイロンにいてはどうかと勧めた。

 彼は、オルコットに会わねばならない理由もなく、祭りの行列も特に見たくはなかったので、「来年あたり、ナンジョーという日本人がやってくるから、万事彼に譲るよ」といってこの島を後にしたが、スマンガラからは、日本人を受け入れる準備はできているという確言を得ていた。

 これでもしも彼が明治16年に死去しなければ、日本とセイロンの仏教徒の交流は、少なくとも一、二年は早く進んだかもしれない。日本人セイロン留学生第一号の釈興然(しゃく・こうぜん)が横浜港から旅立つのは明治19年の秋である。
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コロンボの中心街フォートの当時の様子。右の建物は老舗のホテルGOH、つまりグランド・オリエンタル・ホテル。コロンボに寄港した大型船の停泊時間は24時間、時にはそれ以上にわたることもあり、旅客は上陸してこうしたホテルで休むことが多かった。(2001年1月、GOHのロビーで撮影)

                *                  *

 長く続いたスリランカの内戦もいよいよ最終局面に近づいたらしい。
「人間の盾」などというとんでもないものが本当に機能する前に戦闘が終結し、「インド洋の涙」と言われてきたこの島が、一日も早く本来の「インド洋の真珠」の姿をとりもどすことを祈りたい。

 

研究ノート