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頭が痛い

2020年05月21日
先週の水曜日、一晩中偏頭痛がしてよく眠ることができなかった。私にしては珍しいことである。朝になって大分ましになり、2時間目にZoomで授業をやって立ち直った。これもストレスが原因かと思っていたら、正面玄関ですれちがいざまにMさんが、「それ、腰です」。最近座りっぱなしのためか、腰は万全ではない。どうも同僚たちの多くがそうなっているらしい。

さて、さっき漸く能海寛の四川路進蔵行から解放されて気分は上々である。
20日締めと聞いていたので、今日原稿ができてから、S田さんに恐る恐る電話したら、「お待ちしています」。それなりに頑張った甲斐があったというものである。

大分前、島根県浜田市金城町波佐の金城歴史民俗資料館を初めて訪れて、保管展示してある能海寛関係資料を見て以来、私の頭にこびりついた疑問は、能海は入蔵行の途中で得たこうした資料をどのようにして故郷まで送ったのだろうか、ということであった。何しろ彼は雲南の奥地から帰ってくることができなかったのである。大量の資料と共に凱旋帰国した慧海とは、まったく違うのである。この疑問は、能海関係資料にも時代別にいろいろあるということを知ってからも、去ることはなかった。

それが今回大分すっきりした。能海がダルツェンドから送った荷物は確認できるだけで9個。そのほとんどが無事に届いたと私は考えている。おもしろいのは、能海が、故郷に送る分を京都の下珠数屋町通りの宿屋、池田屋(池武)にまず送ったことだ。なかには東本願寺の上海別院に留め置かれた荷物もあったが、それらは松林孝純が気をきかせて、池田屋に転送してくれたようである。

東本願寺に近いこの宿屋は能海の京都における定宿だった。ここに送っておくと、友人、知人が何かのついでに波佐の近くまでもっていってくれたり、郵便で送ってくれたりしたのだろう。それまでは池田屋がしっかり保管してくれたに違いない。そう思いながらみると、経典の一枚一枚がより貴重なものに思えてくる。そのうちにネット上で公開できるようにしたいものだ。
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