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関ヶ原

2017年10月29日

10月29日(日)

昨日、駅前商店街に所用で出かけた際、書店で、普段は買わない『歴史群像』をつい買ってしまったのは、表紙に書かれた「関ヶ原合戦の真実」の文字に引かれたからである。長篠合戦など史上有名な合戦の実像が、小説、テレビ、映画などでお馴染みのものとはかなり違ったものであったらしいということは誰しも考えることであろう。ただ、関ヶ原まで違っているとなれば、これはちと困るような気がする。ところが、以前このブログで触れた『戦国の陣形』にはそれらしいことが短く書かれていた。以来、気になっていた。そこに今回の記事である。白峰旬という歴史学者が書いたこの記事を読んで、私がおもしろく思ったのは、

1.関ヶ原合戦は、東西両軍が最初から天下分け目の大戦であることを意識してがっぷり四つに組んだ戦いなどではなかったらしいこと。白峰氏の言葉を借りると、それは「石田方が想定しないタイミングと場所で行われた(徳川方による)追撃戦・殲滅戦」であったらしいこと。

2.この合戦の準主役とも言うべき小早川秀秋は、散々逡巡した挙げ句に家康の「問鉄砲」に威されて裏切りを決意したわけではなく、合戦開始直後から「ちゃんと」裏切って、大谷吉継勢を攻撃にかかったらしいこと。そのため、大谷勢は徳川主力と小早川勢に挟み撃ちにされてまたたくまに壊滅したらしいこと。確かに、戦の最中に死んだ西軍の主立った武将は吉継しかいない。


らしい、らしいと書いたのは、白峰氏の説もまた仮説であることが、その書き方から窺われるからである。私にこの記事の内容を批判的に吟味する能力はない。ただ、どの分野にも、まだまだ分かっていないことは多く、だからこそ面白いと思うだけだ。

結果は変わらないのだから、そんな細かいことを穿鑿しても…と言うなかれ。私達がなかば常識としていることを打ち壊してゆくのが研究の醍醐味なのだから。


実はこの号を買った動機がもう一つある。「再現!軍隊グルメ 戦士の食卓」という連載コラムに、トルコ銘菓「ロクム」が取り上げられているのである。これ、一昨年のトルコ旅行のお土産にしたもので、分からない人には甘いゆべしにしか見えなかったようだが、分かっている人には、「一度食べたかった」とたいそう喜ばれたのであった。


ある大学教員の日常茶飯 | トラックバック(0)