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大元公園

2017年06月16日

1時間ほどで大願寺を辞し、小雨の中、向かったのは宮島歴史民俗資料館である。ここの学芸員のTさんには予め連絡していろいろ教えてもらっていたが、Tさんはこの日は不在。代わりに館長さんが出てこられたのには恐縮した。

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*豪商の町屋を利用した作りで、展示物に見るべきものが多い。そのうちまたゆっくり来たいものだ。


最後の目的地は、大元(おおもと)公園内の国民宿舎みやじま杜の宿である。その敷地が宮島ホテル(1912年創立)のあった場所であり、宮島ホテルの前は、宮島みかどホテル(1906年創立)、その前は料亭旅館白雲洞があった。みかどホテルは、神戸にあったミカドホテルの分店のようなものであった。ちなみに神戸のミカドホテルは元は後藤旅館と言った。明治36年5月に第1回チベット旅行から戻った河口慧海が神戸上陸の日に宿泊したのはここである。


宮島ホテル(みかどホテル)は外国人観光客を当て込んで西洋式の設備を持っていた。ゴルドンが避暑に来て泊まっていたのもこのホテルである。

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国民宿舎は大元浦に面している。大元浦は1555年の厳島の戦いの際に陶晴賢(すえはるかた)軍の上陸地点となった。厳島の戦いは、毛利元就軍4000が陶軍2万を破った戦いとされているが、行きしなに読んだ秋山伸隆「厳島合戦再考」(『宮島学』)によると、陶軍2万は盛りすぎ、毛利軍4000は逆に少なく言い過ぎであるとのこと。毛利元就の知略を際立たせるための作為か。いずれにしても、両軍合わせれば2万人にはなったであろう軍勢がこの平地の少ない険しい地形の島の中でよく戦ったものである。


今回の旅はここまで。表参道に戻り、「広島焼牡蛎スペシャル」とビールでお腹を満たして帰途に就いた。実は大聖院など訪れるべき所はまだ残っている。来月、能海寛研究会の帰りにでも寄ろうかと今考えている。


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