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不惜身命

2009年02月04日
 不惜身命と書いて「ふしゃくしんみょう」と読み、「身命を惜しまず」と訓ずる。

 能海寛は、明治34年(1901)4月18日に雲南の大理で日本の知人宛の手紙にこう書いた。

「今や極めて僅少なる金力を以て深く内地に入らんとす、歩一歩艱難を加へ、前途気遣はしき次第なれど、千難万障は勿論、無二の生命をも既に仏陀に托し、此に雲南を西北に去る覚悟なり、重慶より連れて来りし雇人を当地より重慶へ返すに当り内地への書状を托す、今後は多分通信六ヶ敷かるべし、明日出発、麗江に向はんとす」(『能海寛遺稿』)

 この日の通信を最後に能海は消息を絶つ。

 そう思えばなおさら、悲壮感あふれる、ある種感動的な文章ではある。

 しかしこれが慧海であったら、そのまま死地に突き進むようなことはしなかっただろう。仏に運命を託する、という覚悟は共通でも、秘境への潜入自体は、あくまでリアルな計算と実行がすべてである。

 もうひとつ、私は前から疑問に思っていることがある。この文章は、1899年に彼と共にパタンまで入った寺本婉雅(てらもと・えんが)がまとめた能海の遺稿集に載っているもので、「不惜身命」という題が付いている。
 従来、この題も能海の手紙の一部とみなす人が多い。
 しかし果たしてそうだろうか。

 去年、大谷大学に行ったときに三宅さんにもお話したことだが、私は「不惜身命」は寺本が編集の際に付けた小見出しではないかと思っている。

 私は能海の精神をこの四文字に象徴させることに異議がある訳ではない。確かに能海はその通りの人物であっただろう。ただ、彼のノートを垣間見、その学問的な可能性に想いをいたすほどに、彼にはむしろ身命を惜しんでもらいたかったと思うだけだ。

 こんなことを書いちゃうから、慧海ファンは嫌われるのでしょうか。

 
研究ノート