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京都

2017年05月30日

5月29日(月)

日本仏教学会西部理事会出席のため、京都の大谷大学にでかけた。JR京都駅の地下の本屋で、井上章一の『京都ぎらい』(朝日新書、2015年)を買い、北大路との往復の地下鉄内で冒頭部を臨場感をもって読んだ。


「京都を西陣のやつが代表しとるんか。西陣ふぜいのくせに、えらい生意気なんやな」

「そやかて、山科なんかいったら、東山が西のほうに見えてしまうやないの」

「宇治のくせに、京都と言うな」

「なんやて、亀岡が嵯峨と隣どうしやて。ちょっと待ってえな。(中略)そこのところは、わきまえておいてもらわんと」

著者自身はたいへんお怒りのようであるが、こちらは車中、笑いをかみ殺すのに一苦労した。近くに座った人が一瞬怪訝そうな顔をして私を見た。著者のこの技量は並大抵ではない。

地域差別が入れ子構造になっているのは、何も京都に限ったことではないが、今や世界中から観光客を引き寄せ、半日もいれば、日本人として、少し賢くなったような気にさえさせてくれるこの文化都市が、実はこんな恐ろしいところだったとは、という訳で、これはなかなかの啓蒙書である。


ついでながら、私の(かつての、そして今も時々)同僚のI先生は、京都のど真ん中で生まれ育った生粋の洛中人である。その人がある時私にこう言った。

「京都の人間はな、奥山さん、わりかし、東北の人が好きなんどっせ」

ほう、そんなものかと、その時は悪い気はしなかったのだが、今になって思えば、いったいどんな意味が込められていたのか。

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*大谷大学尋源館。

ある大学教員の日常茶飯 | トラックバック(0)