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景教碑

2017年01月11日

一昨年の9月にイスタンブルに行った折、ボスポラス海峡を船で渡って、アジア側のカドゥキョイ地区に案内され、レストランの中庭の葡萄棚の下で会食したことがある。カドゥキョイは古名をカルケドンといい、451年にカルケドン公会議が開かれた場所である。この会議でイエス・キリストの単性説が否定されるとともに、その20年前、同じアナトリア(小アジア)のエフェソスで開かれた公会議で下された、コンスタンティノープル大主教ネストリウスの教説に対する異端認定が確認された。かくしてネストリウス派は東方への布教に活路を求め、7世紀前半には唐の都長安に達した。この教派の中国における名称は景教である。


二つの公会議から1500年以上の歳月が流れた。


1911年9月、高野山奥之院に「大秦景教流行中国碑」のレプリカが建てられた。それはイギリスのゴルドン夫人(E. A. Gordon)の寄贈になるもので、夫人は、弘法大師は長安の大秦寺(キリスト教会)境内でこの碑を見たに違いないとの思いから、これを高野山に建立したのであった。夫人には、景教が古代日本に伝来したとの確信もあった。


原碑は、17世紀初めに西安郊外の金勝寺境内から出土し、そこに置かれていたものが、20世紀の初めに碑林(博物館)に移されて今日に至る。碑文を撰したのは大秦寺のペルシア僧アダム、中国名景浄である。この景浄が、長安における弘法大師の先生の一人であるインド人般若三蔵といっしょに『六波羅蜜経』を翻訳しようとして失敗した景浄と同一人物であるというのだから、話はややこしい、否おもしろい。






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