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遺跡巡り、調印式、帰国

2016年11月07日
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*夜明け前のルンビニーの野。荘厳な時が近づく。

27日
インドやネパールはやはり、朝である。早起きして、日本山妙法寺のストゥーパまで散歩した。すでに善男善女が旭を拝みに来ていた。ストゥーパの基壇に上ると、ヒマラヤがよく見えた。

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*白亜の塔に僅かに朝日が当たり始めている。

この日の午前中はルンビニー近辺の遺跡巡りをした。タウリハワーを通り、まずクダンの遺跡を訪れる。ここは釈尊が父王シュッドーダナと出城以来の再会を果たしたニヤグローダ園の跡と言われている。次に行ったのが、ゴーティハワーの遺跡である。ここは、過去七仏(釈尊とそれ以前に現れたとされる六人の仏)の一人、クラクッチャンダ(拘留孫)仏の生誕地とされる場所で、壊れたアショーカ王の石柱が見られる。こうした遺跡群はみなタラーイの田園地帯の中にある。途中、いくつもの村を通ったが、お世辞にも豊かとは言えなかった。

次はティラウラコットの遺跡であった。釈迦族の都カピラヴァストゥに比定されている場所である。現在は、ユネスコ文化遺産保存日本信託基金の援助を受けて、イギリスのダラム大学がドローンなどの「新兵器」も使って調査を進めている。(もっともインド側の主張では、カピラヴァストゥはインド領内のピプラーワーとのこと)
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*シッダールタ太子が目覚めの旅に出たのは、この東門からであるとされる。

最後は、過去七仏の一人、カナカムニ(拘那含牟尼)仏の生誕地とされるニグリハワーの遺跡であった。アショーカ王の石柱が折れて倒れている。七仏のうちの三人までがこの比較的狭いエリアで生まれたことがアショーカ王の石柱によって認定されていることは、とても興味深いと言わなければならない。ちなみに、東北大学の河口コレクションには、ルンビニーとニグリハワーの二つの石柱碑文の拓本が含まれている。慧海自らが刷り取ったものである。

遺跡巡りから戻って昼食を取ると、すぐに高野町とルンビニーとの調印式であった。これが今回の訪問のハイライトであった。

夕方、飛行機でカトマンズに戻った。夕陽に紅く染まったヒマラヤが見事だった。カトマンズ最後の夜は、タメルのチベット料理屋でトンバという地酒やモモ(チベット餃子)を味わった。翌日昼の飛行機に乗り、次の日の朝に関空に帰着した。
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