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司馬遷の墓

2016年09月08日
♪人間好きになりたいために~♪

 ああ、中島みゆきの歌はどれも「希求」だな。あの名作「狼になりたい」からこの「一期一会」まで。
 帰国して10日、ようやく疲れも癒えてコンディションは上向きである。

8月24日(水)
 今日は大移動日。運転は漢族のRさん、助手席に座る女性は中国人には珍しく姓が2文字で、Cさんの話では、古代中国の大地を疾駆し王朝を建てた騎馬民族の末裔だ。この女性、常に笑みを絶やさず、その上実にしっかりとした感じの人である。
 9時に出発した私たちは、お昼前に韓城に着いた。ここでLさんの元部下を始めとする地元の人びとの歓迎を受け、レストランでお昼の接待を受けた。主賓の私を迎えるために、「日本料理」も一品頼んでくれていた。???という代物であったが、気持ちはありがたく受けた。
 食後、韓城を案内するので、古鎮がいいか、それとも司馬遷祠がいいか、と聞かれる。古鎮は剣川と麗江で体験してだいたいどんなものか想像がついたので、司馬遷祠を選んだ。司馬遷を祀る墓である。司馬遷は今の韓城市の出身で、墓もこの地にある。

  日本人も、高校生の時に『史記』を習うんですよ。「鴻門之会」とかね。

 と言ったら、「鴻門は西安の近くです」。いや、それは分かっているのだが。

 司馬遷祠(太史祠)は、韓城市街から離れた小高い丘の上にあった。かんかん照りである。電気自動車で麓まで行って、ここから往復一時間です、と聞かされた時には、内心どうしようと思ったが、言い出した手前、行くしかない。後でCさんに聞いたら、みんな「老師は我慢強い」と感心していたとか。
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*太史祠への道。道として相当年季が入っている。

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*司馬遷の墓。神さびた柏の木が時の流れを物語っている。学業の成就を祈願した。

 司馬遷が宮刑を受けたのは、匈奴に投降した李陵を擁護して武帝の怒りを買ったからであるという。坂道を登りながら、昔読んだ中島敦の「李陵」を思い出した。日本人の教養の基礎が漢籍にあったのは大昔の話だが、私のようなものですら、こうして次々と「想い出して」ゆくのであるから、その影響力はまだまだ大きいのである。

 お詣りは熱中症にならない程度で済んで、これで終わりかと思ったら、「名物の緬を食べていってもらいたい」。これもおいしくいただき、別れ際には、短いながらも縁の不思議を感じてしんみりした。韓城のみなさん、本当にありがとうございました。

 すでに午後3時を回っている。五台山はまだ遠い。山西省を北上する高速道路を飛ばしてゆくが、徐々に雲行きが怪しくなり、やがて雷雨となる。平遙を過ぎ、太原を過ぎる頃にはすっかり暗くなる。五台に入り、五台山麓の大きなホテルに着いたのは、9時半過ぎのことであった。韓城での滞在時間を引くと、事前の予想の半分ぐらいの時間しかかからなかった。道がそれだけよくなっているのである。

 Cさんがしゃきしゃきと動いて、学会の受付で手続きを済ませ、一言、「先生、一番広い部屋ですよ」
 ええ、まさか。だとしたら、いいかげんにしてほしいな。剣川でも広すぎたんだから。
 Cさんが言うとおり、私の部屋はスイートルームで、「トイレに行くにも足が疲れる」広さであった。

ホテルには北京からCさんの妹が着いていた。
 
フィールドワークの記録