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古城、石窟、古鎮

2016年09月01日
 中国東方航空機が、台風の影響で荒れ模様の関空に降り立ったのは、29日の午後であった。12日ぶりでメールの機能が回復した。公私ともにGoogleを使っているため中国ではまったく見ることができなかったのである。帰りのリムジンバスの中で確認してゆく。急ぎのメールは2通だけ。まあ、そんなもんである。なかには、終わってしまったことで、「これは修羅場だったな」などというのもあり、無責任なようだが、「いなくてよかった」。

 おっ、と思ったのは、今秋の「慧海祭」に関連する連絡だった。肥下徳十郎の写真が見つかったとして添付してある。泉ヶ丘駅前の中華屋でビールのジョッキを傾けつつ、その写真をながめているうちに、疲労がたまっていたせいか、つい涙腺が緩くなった。
「あなたが徳十郎さんですか。よくぞ慧海さんを支えられましたな」

 今秋、堺では河口慧海生誕150周年記念事業として「慧海やさかい」展、もとい「慧海と堺」展が賑々しく開かれる。

さて、

8月19日(金)
 早々とバイキングの朝食を済ませると、小雨の中、バス2台で参加者全員が仏教関係の遺跡・遺物の見学に出かけた。最初の目的地は、150キロほど離れた大理白(ぺー)族自治州の中心都市、大理である。
 大理古城内にある大理市博物館で、白族の学者で大理学院教授の張錫禄教授の案内を受け、石碑、仏像、仏具など大理密教の貴重な遺品の数々を見た。大理密教は白族の密教の意味で白密とも呼ばれる。また阿吒力(アジャリ)教と呼ばれることもあるが、あとで述べるように、用語の使い分けには注意を要する。

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*大理古城南門。今回はどこもそうだったが、城内は観光客であふれていた。

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 次に向かったのは、唐の開元年間に開かれた崇聖寺三塔である。ここも参拝者で大賑わいだった。広大な敷地に堂塔が点在し、宗教のテーマパークの趣であった。
 
昼食後、バスは剣川への道を戻り、途中から山道に分け入った。白族の民族衣装を着た女性が乗り込んできて、ガイドを始める。この女性、1時間以上もしゃべり詰めで、謡ったり、白語を教えたりと、ずいぶん芸達者な人だった。
 
 この辺りの山々は全山これ松山で、松茸がごっそり取れるらしい。時々バスの屋根に道に被さった木の枝がぶつかる。狭く、踏み外したら転落はまぬがれない崖の道を延々と行く。

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 着いたところは、石鐘山石窟である。石鐘の由来は上のような岩にあるらしい。私にはむしろ俵に見えるが。
ここの石窟寺院は南詔国時代に開窟が始まっている。白密の聖地の一つで、興味深い石像が多々見られる。ここら辺りについては、高野山大学の川崎講師が以前から実地調査を行っており、彼の独壇場だ。

 次いで向かったのは、沙渓古鎮である。古い由緒を持ち古建築の残る村落を古鎮に指定して保護を加え、同時に観光開発して客を呼び込もうとする。そんな場所のひとつらしい。

 中心は白族の寺、興教寺で、白密関係の展示がなかなか充実していた。今回の学術検討会の主題は、この白密にある。私は次の日の主題討論の主持人(司会者)兼最初の発言人に指名されているので、このエクスカーションの間中、俄勉強に努めた。発言は、それぞれの見地から自由に行えばいいわけであるが、白密について大雑把にでも知らなければ、まともなコメントはできない。

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*興教寺の門。中心にいる女性がガイドさん。

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*この寺の門前は、いい広場になっていて、古樹の下に観光用の馬たちが繋がれていた。この村は茶馬古道のルート上に位置している。

 この日の夕食は、歓迎の懇親会になり、白族の人たちの盛り上がりがすごかった。
フィールドワークの記録