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直江兼続その他

2009年01月05日
直江兼続が、東西対決の重要な時期になぜ北の最上を攻めて山形に侵攻してきたかは、そのうちNHKの「その時歴史は」あたりで解説されると思うが、私のような地元民にとっては、直江軍は侵略者である。中学生の時、社会の先生から、その視点で合戦の模様をおもしろおかしく聞いた記憶がある。
 
 直江軍には例のかぶき者で有名な前田慶次などもいたから、ドラマではそのあたりをおもしろくやるのだろう。
 もしも上杉勢が、小山から引き返した徳川軍を追撃して江戸に迫っていたら話はもっとおもしろくなったろうに、残念なことをした。もっとも上杉だけで江戸を攻めるのはたぶん無理で、宇都宮あたりでもたもたしているうちに、背後から伊達政宗に襲われたかもしれず、どう転んでも勝ち目はなかったように思われるが、こうしたことについても歴史家のくだけたコメントを聞いてみたい気がする。

 以下、私事中の私事にわたるが、
 
 私の母方は谷といって、その先祖は幕末まで山形にあった水野藩に仕える武士であった。水野忠邦が天保の改革に失敗して失脚し、浜松にあった水野藩は二つに分けられて、その一つが山形に左遷された。これにのこのこ付いてきた下級武士がご先祖様の一人というわけである。温暖な浜松から来たのでは、まずもって夏暑く冬寒い盆地の気候に苦しんだだろうと思われる。浜松近辺には谷という姓は少なくないらしい。

 今の大手町、昔の霞町(かすみちょう)にあった母の実家は、山形城が取り壊された時の古材で建てられたものだった。家は古いが使われているのは桐だ、と亡父が話していた記憶がある。子供の頃まで、そのあたりの古老はみな浜松弁をしゃべっていた、とは母方の祖父(1900年生まれ)から昔聞いた話である。それでは、その前はというと、九州の唐津から来たのだという。調べてみると、水野藩は唐津から浜松に転封しているから、この話は本当なのだろう。
 幼年時代、私の家は霞町にあって、城跡の霞城(かじょう)公園は遊び場だった。その後、小学1年生の時に郊外に引っ越したが、故郷といえば、あの町の風景だけでなく、空の色までが今もありありと目に浮かぶ。
 
ある大学教員の日常茶飯
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