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ユルドゥズ宮殿、イスティクラール通り、アジア側

2015年10月04日
9月15日(火)
この日も、M沢先生のご案内を受けて、F田先生と、ユルドゥズ宮殿、 チュラーン宮殿、トプハネのモスク、イスティクラール通りのモスクなどを回った。
M沢先生は私の書いたものを丁寧に読んでいて、私の行きたそうな所を予めリストアップしていてくれたのだ。まったく頭が下がる。
私が書いたものというのは、善連法彦と小泉了諦が125年近く前に残した記録を整理したものである。二人は、セイロンのコロンボから「比叡」と「金剛」に便乗してこの町にやってきた。軍人ではないから、使節団の日程にしばられず、結構自由にこの町を歩き回っている。M沢先生にとって、イスタンブルは自宅の庭のようなものらしい。

「これが善連が言うボスポラス浜の球院だと思います」
「へ~」
「小泉と善連もあの坂道を登ったのでしょう」
「ほお~」

私は靴ずれもあって足が大分くたびれたので、つい、
「二人は歩き疲れたとは書いていませんが」
「昔の人は歩き慣れていたでしょうから」
まさにその通りである。

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*旅情ですなあ。♪岬のはずれに、少年は・・・♪
1889年のある日、イスタンブルの港から一隻の軍艦が極東目指す大航海へと旅立った。オスマン皇帝スルタン・アブデュル・ハミト二世の命を受け、日本の皇帝に親書と贈り物を届けるために。しかし、数百人の乗務員は二度と故国の土を踏めなかった。大島島民の決死の救難活動によって嵐の海から生還した69人を除いては。

夕方、渡し船に乗ってボスポラス海峡をアジア側に渡った。着いたところはカドゥキョイ地区。451年に、東ローマ皇帝の召集により、カルケドン公会議が開かれた場所だという。ここにあるM沢先生ご推奨のレストランで、今回参加の日本人全員に留学生も加えて食事会が開かれた。葡萄棚の下のテーブルでとても気持ちのよい夕べを過ごした。
フィールドワークの記録