08月≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930≫10月

ハギア・ソフィア

2015年09月26日
9月13日(日)
軍事博物館を出て、オルドゥ・エヴィに戻り、カフェでトルココーヒーとパンでブランチを取った。帰る途中で、歩道のカフェに寄ろうかとも考えたが、着いたばかりなので自重した。お金を払う段になって、プリペイド・カードかクレジット・カードの提示を求められる。今朝、空港のターンテーブルの近くで、預けたトランクが出てくるのを待つ間に両替していたのでトルコリラは持っていたが、現金は受け取らないという。仕方がないので、3トルコリラあまりをクレジット・カードで支払った。1トルコリラは約40円である。ちょっと驚いたが、後で三沢先生に聞くと、少額でもカード支払いがトルコでは普通なのだそうだ。

1時半頃、エルダル先生がやってきた。先生とは初対面である。日本語の達者な人で、柴田幹夫先生編の『大谷光瑞とアジア』(勉誠出版)にも「大谷光瑞とトルコ-建国の父ケマルパシャのパートナーとしての大谷光瑞」の一篇を寄稿しているから、興味のある人は読んでもらいたい。さて、どこへ行きますか、ということになって、予め三沢先生から、「初日に旧市街のアヤ・ソフィア、ブルーモスク、ヌリ・オスマニヤを見ておくと、後が楽です」とアドバイスを受けていたので、それに従うことにする。

シンポジウムの日程は、ころころ変わった挙げ句に、16日開幕に決している。したがって、今日を入れて3日はイスタンブル探訪に使える訳だ。

タクシーでガラタ橋を渡り、地下宮殿の入口近くで下りる。まずはランチということになり、カフェテリア式の食堂に入る。焼き魚を指指したら、鮭の大きな切り身を皿に放り込んでくれた。とても食べきれなかった。

さて、いよいよと言うか、ついにと言うか、ハギア(アヤ)・ソフィアを訪れる時がきた。もともと私の望みは、死ぬ前に一度イスタンブルを見ることだった。だから特に急いではいなかったのだが、それが研究の都合で早まったのである。なかでも最大の目標はこの大聖堂である。ここで詳しく述べることはとてもできないので、写真を何枚かキャプション付きで掲げることにする。

DSC_0304_convert_20150926203150.jpg
*西暦360年に創建され、537年にビザンツ皇帝ユスティニアヌス1世によって再建された大聖堂。オスマン帝国のコンスタンティノープル征服後、モスクに改装され、今は博物館になっている。

DSC_0316triming_convert_20150926203300.jpg
*正面「皇帝の門」の上のモザイク画。中央に全能の救世主としてのキリスト。その前に額づくのは皇帝レオン6世。向かって左のメダリオンの中は聖母マリア、右のメダリオンの中は大天使。

DSC_0356_convert_20150926205432.jpg
*つるつるの石畳。1400年以上前に造られた床の上を今自分が歩いているかと思うと、不思議な気分になる。

DSC_0360_convert_20150927084804.jpg
DSC_0361_convert_20150926203534.jpg
DSC_0362_convert_20150926203624.jpg
*この圧倒的な量感。1453年5月29日、オスマン軍が、総攻撃によってテオドシウスの大城壁を破り、イェニチェリ軍団を先頭にして町に雪崩れ込んだ時、この聖堂に響いていたのは祈りの声か、はたまた絶望の叫びか・・・。歴史の重みをずしりと感ずる瞬間。

DSC_0373_convert_20150926204349.jpg
*大理石の板の自然の文様がそのまま活かされている。

DSC_0398_convert_20150926204055.jpg
*西南の入口。
DSC_0394_convert_20150926204148.jpg
*門上のモザイク画。中央、幼子キリストを抱く聖母マリア。向かって右、コンスタンティノープルを捧げる大帝コンスタンティヌス1世。左、ハギア・ソフィアを捧げるユスティニアヌス1世。




フィールドワークの記録