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ムンバイ日本人墓地

2015年03月25日
3月8日(日)
今日はこの旅で唯一フリーな日である。これを利用してムンバイ日本人墓地に参詣し、マラバールヒルの日本領事館跡を訪ねる予定を立て、日本山妙法寺の森田上人には前もってその旨メールしておいた。

午後1時過ぎ、タクシー二台に分乗して、日本山に向かう。一行は、マハーラーシュトラ州政府高官のM氏、県庁のY下さん、同じく県職員でアウランガバード駐在のM本さん、世界遺産センター長、同センター出向中のBoさん、そして私。当初、一人で行くつもりが、賑やかな訪問となった。

日本山妙法寺は、ウォルリー地区のアニー・ベサント・ロードにある。ベサントは神智学協会の二代目会長で、インド国民会議派の議長も務めたことのある、この研究分野ではお馴染みの女性。妙な契合を感じる。

一通りの挨拶とご本尊のお参りをすませた後、お寺の車で墓地に向かう。日本人墓地は、ヒンドゥー教徒の墓地の一画にあった。

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供養塔の側面に物故者の名前と享年と死亡年月日が刻まれた銅板が貼り付けてある。惜しいことに一番古い銅板は盗難にあって、失われている。残っているものの中で、最古の名前は、明治24年4月に20歳で亡くなった女性のものであった。
日本人墓地に関しては、いろいろ言うべきことはあるが、それはもう少し調査を進めてからにして、今は熱暑の地で世を去った日本人たちの御霊に手を合わせよう。

森田上人のお話では、この辺りは再開発が進み、高層マンションなども立ち始めていて、地上げの危機にある。ところが、最近、隣りにパールシーの葬儀場(ダフマ)が作られ、近くにはアンベードカル博士の夫人の供養所の設置も決まったので、何とか地上げは避けられるのではないか、とのことであった。

遅い昼食を近くの中華料理店で取った後、私はM本さんに付き添われて、タクシーでマラバールヒルに行き、旧・在ボンベイ日本領事館の跡地を訪ねた。
ムンバイ(旧ボンベイ)は、元来は七つの島の連なりだったものを埋め立てによって繋いだ半島にある。この半島は先端が二股に分かれており、その形は、左手首を横から見たのに似ている。マラバールヒルは、親指の付け根の関節の盛り上がりに相当する緑の濃い丘で、南ムンバイでは一番の高級住宅街である。

その一画のMount Pleasant Roadが、少なくとも明治43年から大正年間にかけて日本領事館があった場所である、というのが今のボンベイ総領事館のM本領事から頂いた情報である。

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番地は分からないので場所を特定することはできなかったが、雰囲気が味わえて満足感を覚えた。明治29年1月にこの町にやってきた天台宗の留学生大宮孝潤(おおみや・こうにん)は、この辺りを歩き回っていたわけである。大宮だけではない。川上貞信も河口慧海も藤井宣正も清水黙爾もここで身体を休めながら、遙か北の彼方のヒマラヤに想いを馳せていたのである。

ホテルの部屋に戻ってしばらく休み、夕方からお土産を探しに市中に出る。ホテルの前で拾ったタクシーが、私の指定する土産物店の場所を知らず、結局適当な所で下ろされてしまう。そこからガイドブックを頼りにしばらく歩いてその店にたどり着く。センスのいい物がある店、のはずだったが・・・お土産で成功したためしがない。こうなったら、という訳で、ちょっと高い「光り物」を買い、店の前でタクシーを拾ってホテルに戻る。それでも、ちょっと数が足らなかったので、ホテルのモールで追加。高級ホテルのモールだから、いい値段のものばかりだったが、時間がないから仕方がない。
夕食は一人、レストランで、タンドリチキンを食べたが、これまた相当高かった。
フィールドワークの記録