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茨城県稲敷郡河内町 妙行寺

2014年10月29日
10月25日(土)
午前11時から、隊長の49日法要が泉北のK寺で行われた。参列者は隊長の家族・親戚がほとんどで、その以外で呼ばれたのは4人だけだった。そのあと、泉ヶ丘のパンジョの豆腐料理店で会食があった。お寺で、隊長が去年入院前に書いた「『河口慧海の道』(上トルボ)を行く」(『登山時報』2012年12月号)が配られた。隊長のいわば絶筆である。それが、隊長が執念を持って探索した慧海のトルボ越境ルートの案内であることに深い感慨を覚えた。何年先になるかは分からないが、私も身体を鍛えて、この道を歩きに行こうと思った。

10月26日(日)
正午過ぎに東京駅でK野先生と待ち合わせ、上野から常磐線に乗る。佐貫で下りて、大宮師の出迎えを受け、車で河内町の妙行寺に向かった。天台宗妙行寺は大宮孝潤(おおみや・こうにん)のお寺である。
『チベット旅行記』の注意深い読者は大宮の名前をご記憶かもしれない。旅行記の終わり近く、チベットを脱出した慧海がカルカッタに出て転がり込んだのが、大宮の寓居だった。大宮は明治28年末にインド留学に旅立ち、途中1年余りの一時帰国をはさんで、明治39年4月までおよそ8年間、ボンベイ、スリランカのコロンボ、そしてカルカッタで勉強した。

大宮は江戸日本橋の米問屋の息子で、家が没落した後、父親の故郷に近い常陸国行方郡麻生村の他家に養子に行った兄の元に母親と共に身を寄せ、やがて縁あって妙行寺に入り、11歳で得度した。

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*大宮の第二の故郷は、利根川流域の低湿地帯を開発した豊かで広々とした米作地帯だ。その反面、かつては坂東太郎の氾濫に悩まされた歴史を持つ。このような土地柄が、インド留学後、新進気鋭のインド学者として活動を始めた大宮孝潤の人生を一転させたのだ。私は長いことこの景色を見たいと思ってきた。

妙行寺では、たくさんの資料を見せて頂いた。毎度同じ事を言っているようですが、このご恩は研究成果を出すことでお返しします。2時間弱お邪魔した後、また佐貫まで送ってもらって、東京に戻り、ハロウィーンで賑わう池袋駅前のホテルに投宿した。

10月27日(月)
午前9時過ぎから大正大学図書館で古い雑誌を閲覧した。午後5時過ぎまでたっぷり8時間近く堪能させてもらった。
フィールドワークの記録