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信貴山の絵馬

2013年11月01日
10月24日(木)
午後2時45分から大阪府立大学Uホールで予定通り講演をおこなった。堺都市政策研究所と府大のみなさんのお陰で、80分間、とても気持ちよく話をさせてもらったが、資料を用意しすぎて紹介しきれなくなるという悪い癖が出たのは反省材料であった。

この講演のため、その10日ほど前に信貴山に写真を撮りに行った。
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*奈良盆地を見下ろす信貴山朝護孫子寺。毘沙門天の信仰で知られている。奥の一段高いところにあるのが本堂。
仁王門から赤門に至る手前に納経所があって、その横が休憩所になっている。この休憩所の中にたくさんの古い絵馬が掲げられている。

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*毘沙門天の額の左右の絵馬にはムカデと虎が描かれている。ムカデは毘沙門天のお使い。虎は信貴山ゆかりの動物。中央下の五重塔は波銭で形作られている。

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その中に、慧海の父親の河口善吉(樽善)が明治15年11月に奉納した絵馬がある。虎に岩や笹竹をあしらった図で、虎は波銭でかたどられていたが、波銭は今は一枚もなく釘だけが残っている。虎は信貴山に縁の深い動物と考えられている。定治郎がまた寅年生まれだったから、この山との縁はことさら深く感じられたであろう。

右の縁には「願主樽善」、左の縁には「宿坊光明院」と墨書されている。光明院は今はない信貴山中の塔頭で、河口家の所縁坊であったと見られる。その場所は今の本坊のところであると、これは現在「信貴山縁起絵巻」尼公の巻が特別公開中の霊宝館の切符売りの女性に聞いた。それなりに心得のある人らしく、いろいろ詳しかった。画面の左上には、この写真ではよく見えないが、「細工人 堺釘力」と書いてある。これがこの絵馬を作った職人である。また右下の角に「河口姓子息連名」として、善吉の子どもである定治良(=定治郎=慧海)、梅吉、岩吉、善七、竹松、世以(せい)の名前が連記してある。

河口家は信貴山の毘沙門天への信仰が篤く、毎月25日には仕事を休んで一家で月参りをしていたと伝えられる。この絵馬はその証しである。仏道に志した定治郎が「禁食肉、禁酒、不淫」の三条の誓いを三年間守り通す願をかけたのも信貴山の毘沙門天であったことを考えれば、この地こそ河口慧海の仏道修行の出発点だったことになる。

私はこの絵馬の存在を青江舜二郎の『少年伝記文庫 河口慧海』に教えられて、10数年前に確認していたが、写真をちゃんと撮っていなかった。そこでこの機会に、と思い立ったのである。

ところで、信貴山には、そこらじゅうに大小の虎がいる。この山の縁起に加えて、金運を上昇させる縁起のいい動物として信仰されているためだ。

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*張り子の大虎。電動式で首が上下するはずだが、この時は止まっていた。

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*これは小虎。千両箱に片足をかけて、一丁前に吼えている。

ある大学教員の日常茶飯