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新年度

2013年04月05日
高野山大学は昨日が入学式だった。新年度がいよいよ始動した。

午後には大学院通信教育課程のオリエンテーションがあった。そのあと御山を下り、淀屋橋の大阪倶楽部で木曜会に出席した。木曜会はもう50年も続いている大阪の名士の集まりである。私は、この会のK林さんのお誘いを受けて、これまでに2回お話させていただき、昨日が3回目だった。トピックは「河口慧海と肥下徳十郎」。1月の堺市博物館での講演をそっくり持って行ったようなもので、この講演に出席されたK林さんが、木曜会でもしゃべるようにとご下命下さったのが今度の会であった。一時間ばかりお話させてもらった後、出席の方々からいろいろな意見や質問が出て、とてもためになった。私にとっては、ありがたい人間関係の一つである。

話かわって、

去年の10月、流通ジャーナリストの金子哲雄さんが41歳の若さで亡くなった時には、教職員の間からも悼む声が聞かれた。金子さんは、高野山大学大学院通信教育課程の大学院生でもあった。つまり私たちの大切な学生でもあったのである。
このことは個人情報であるために、外に向かって言う者は誰もいなかったが、金子さんの遺著『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』(小学館)の最終章に金子さん自身がはっきり書いているのを見つけたので、安んじてここに紹介したい。

金子さんは書いている。

「夏に願書を出し、入学したのが2011年9月。面接試験や論文も、あの状態でよく受かったものだと思う。
 生きるか死ぬかについて真剣に学びたかった。正しい死に方を勉強したかった。でも実際は、日々の仕事のスケジュールをこなすのに精一杯で、勉強どころではなかったのだけれど。
 それでも、妻とふたりで高野山を訪れた際には、久々にいい緊張感を味わった。(中略)ああ、この森の中で勉強するんだ。そう思うと、いつものハイテンションにはならずに、むしろ、充足した落ち着きを覚えた」(140頁)

この春もたくさんの方々が、高野山大学大学院通信教育課程に入学された。さまざまな思いを胸に抱いてのことと思われる。受け入れた側としては、ゆめゆめ粗略には扱えない。金子さんの本はそのことを改めて教えてくれる。ここに書いたのも自戒のためである。





高野山大学の力
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