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福田令寿 飯田三郎

2008年10月15日
しばらく前の会話ですが。

私「おっ、神田君、いいところに来たね。またいい注が書けちゃってね」
神田「へえ、どんなんです」
私「福田令寿だ」
神田「福田といえば・・ロンドン日記に出てくる福田ですか?」
私「そう。『南方熊楠アルバム』に写真が載っているあの青年。いいかい。

 福田令寿(1873?1973)。熊本の医師、教育者、慈善事業家・・・」

神田「簡にして要を得ていますね」
私「そんなこざかしい言い方いつ覚えたの。この僕がこれで終わりな訳ないだろう。続きがちゃんとあるんだから、よく聞いてくれ。

 熊本県下益城郡に生まれ、熊本英学校で海老名弾正らの感化を受けて、キリスト教徒となる。一八九三年に渡英し、エジンバラ大学で医学を修めて、一九〇一年に帰国した。熊楠とは、エジンバラに行く前、ロンドンに滞在していた一八九三年八月二日に、足芸人の美津田滝治郎の紹介で出会って以来、連日のように行動を共にしている。二人は、福田がエジンバラに移ってからも文通を続け、福田は熊楠に植物標本などを送っている。『熊楠日記1』の一八九三年十月十七日の条には「福田令寿氏え耶蘇教徒の事を書きおくる」とある。しかし福田の回顧談には熊楠は登場しない」

神田「結構な量ですね」
私「これで驚いてちゃいけない。まだ続きがある」
神田「えっ、まだ終わりじゃない?」

私「なお福田は、イギリスへの船旅の途中で、ロンドンで長く商売をしているという年の頃三四、五歳の飯田なる人物と親しくなり、ロンドンでは彼の家に宿泊した。これが『熊楠日記1』にしばしば登場し、熊楠との親交が知られる飯田三郎(生没年不詳)である。熊楠によれば、飯田は仙台人で(『熊楠日記1』三二二頁)、ピカデリーで道具屋を営んでいた(「ロンドン私記」一八五頁)。二人の交遊が始まるのは、同年八月六日に熊楠が福田に会うために飯田の家を訪ねてからのようである。とまあ、こんな具合だ」

神田「先生、まさか全部その調子で書いているんじゃないでしょうね」
私「もちろんすべてをこんなに長く書きやしないよ。まあ、せいぜい5つに1つだね」
神田「・・・・」

私「おっと、大事なことを忘れていた。この注が書けたのは、『百年史の証言 福田令寿氏と語る』(YMCA出版)と久野啓介著『紙の鏡 地方文化記者ノート』(葦書房)という二冊の本のおかげだ。二冊とも電話一本で熊本から送っていただいた。僕はこの仕事が済んだら、この二冊を南方熊楠顕彰館に寄贈しようと思っている」
神田「そりゃ、T村さんたちが喜びます。でも、先生、いつからそんなに善人になったんです?」
研究ノート