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ゲージ

2020年06月16日
『インド鉄道紀行』である。著者は、鉄道に乗るためにインドに2回行っている。一度目はデリーから入って、カルカッタ、ベナレス、ボンベイ、さらにはデカン高原を越えて、コモリン岬まで。二度目はカルカ-シムラー間の軽便鉄道に乗るためだけにわざわざ行っている。その執念には敬服するが、著者の目的はあくまで鉄道に乗ることであって、特にインドに興味があってのことではない、というところで私の関心はこの著者から離れる。またもしもボンベイ(ムンバイ)・カルカッタ(コルカタ)間を一気に行ってくれれば、どこでどう乗り換えるのかが分かって参考になったのだが、それは本書にはない。しかし、さすがに車窓から見える風景をよく観察しているし、鉄道システムに関する蘊蓄、特にゲージ(軌間、レールの間隔)についての説明は参考になった。忘れないうちに書いておこう。
 インドの鉄道の総延長は62000キロメートル。うち1676ミリ、つまり5フィート半のゲージが約34000キロ(55%)、1000ミリのメーターゲージが約24000キロ(39%)、762ミリ(2フィート半)と610ミリ(2フィート)が合わせて約3800キロ(6%)である。因みに日本の基本的なゲージは1067ミリで3フィート半。新幹線が世界標準の1435ミリで4フィート8.5インチである。インドの幹線鉄道の5フィート半は世界一の広さだという(エヘン)。
 宮脇氏は、本当は610ミリのダージリン鉄道、愛称「おもちゃの列車」(Toy train)に乗りたかったのであるが、あいにくその時不通になっていたので、762ミリのカルカ-シムラー鉄道で我慢しなければならなかった。そのせいかどうか、その文章は短く終わっている。私は、(エヘン、エヘン)ダージリン鉄道にもカルカ-シムラー鉄道にも乗っている(エヘン)。この分だけは、長澤まさみの「虫コナーズ」のCMを真似て、一言、「……勝った」と言っておきたい。

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*カルカ-シムラー鉄道のディーゼル機関車。カルカにて。

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*バローグで停車。ホームに降りて写真を撮ったり、揚げ物を買ったり。
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宮脇俊三:インド鉄道紀行

2020年06月14日
Gさん疲れの1週間であった。普通なら御山に泊まるはずの水曜日に堺に戻ったのもその一つで、いざとなったら真夜中でも梅田阪神前に急行しようと待機していたのだから、われながらご苦労さんのひとことである。木曜日にはサテライトに講義に行ったついでに、PCを梅田のホテルに届けた。そんなこんなで週末の帰宅が土曜日になった。夕方、ビールを飲みながら「雲霧仁左衛門」を視て、早めに就寝したが、やや飲み過ぎたためか、夜中に目が覚めてしまった。そこで仕方なく、本棚から当てずっぽうに取り出したのが、この本である。これはずいぶん前に買ったきり、そのままになっていたものだが、一度読み出すとなかなかおもしろい。

私もインドとのつきあいはそれなりに長いので、鉄道は何回も利用している。おまけに著者がガイドに雇ったポール氏は、私も一度ブッダガヤ―までガイドを頼んだことがある。しかもその後何年かして、カルカッタのダムダム空港の駐車場でばったり再会している。というわけで、一度調子が出ると、どんどん読み進めることができた。

インドは鉄道王国である。私が特に興味を持っている19世紀後半から20世紀初頭のインドでも、鉄道は大活躍していた。河口慧海も大谷探検隊の隊員たちも、インドでの長距離移動は鉄道を利用していた。終戦直後のこと、西川一三が仲間のチベット人と無賃乗車したのがばれて、「バボー、ブッダガヤ、バボー、ブッダガヤ」と車掌を拝み倒して許してもらったのもこの鉄道であった。

著者(故人)は著名な鉄道作家で、世界中の鉄道に乗りまくったらしい。鉄道の基本は世界共通だから、その説明には安心して従うことができる。この意味でも勉強になる本である。
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グローバル高野山

2020年06月10日
6月10日(水)
昨日、大学紹介用のビデオ撮影があって奥之院を歩いた。こんなに歩いたのは久しぶりのことである。
題して「野外模擬講義 グローバル高野山」。仏教を介したトランスナショナルな交流のモニュメントを巡るという趣向である。
最初に訪れたのは景教碑、次が顕蔭師塔。途中、テーマに関係なく明智光秀の墓に詣でてから、最後は鈴木大拙・ベアトリス夫妻の墓とフリードリヒ・マックス・トラウツの墓で締めた。ゴルドン夫人にとって景教碑が東西の思想交流のシンボルならば、トラウツの墓に刻まれた橋はまさにドイツと日本の文化的架け橋である。
同行を頼んだ大学院のCさんがいい味を出してくれた。トラウツは「トラ打つ」と覚えてください、という私のギャグは不発だったが…
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コロナ禍が治まったら

2020年06月09日
6月9日(火)
先週の土曜日、夕方からビールを飲んで気持ちがよくなりついでに、パソコンを開いたら、能海寛研究会からZoom会議の招待が来ていた。すっかり忘れていたが、タイミングよく、始まる直前だったので、さっそく参加した。会議は1時間ほどで終了し、最後に感想を求められたので、「災い転じて福で、これからはこういうシステムを研究会などにも活用し、能海を世界に発信しましょう」などと調子のいいことをしゃべってしまった。「波佐に行くことが何より大事なことは変わりありませんが」とも。もちろん、出まかせではない。しかし、波佐は遠い。はるばる電車とバスを乗り継いで行って、レトロな釣り宿に泊まるのも一興であるが、これはせいぜい1年に1回が限度である。

先日ウーさんが部屋に来たので、金城歴史民俗資料館にあるチベット語経典の写真を見せ、能海の話をしたら、「コロナが治まったら一緒に行きましょう」と大乗り気である。最近は私も「コロナ禍が治まったら」が口癖になっているが、これは是非実現したいと思った。初日は広島で原爆ドームや資料館などを見てから安芸の宮島に泊まる。二日目レンタカーで中国山脈を縦断して波佐入り。資料館で資料を見せてもらい、明治屋に泊まる。三日目広島に戻り、姫路で降りてOケンポを訪ねた後、夕方大阪に帰る。なかなか悪くない。
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デルゲへ

2020年06月01日
能海は、ダルツェンド滞在中の明治32年5月29日に、知り合いのチベット人の案内で折多の温泉に出かけて2泊した。その宿で彼は、ラサから来たという「ラマ僧」から耳よりの話を聞いた。

「ここから本街道を北に折れて15、6日も進むとデゲー(デルゲ)という場所に着く。そこには大きな僧院があり、そこで刷っている甘珠爾(カンジュル)、丹珠爾(テンジュル)併せて300部余りが一千両ばかりで手に入る」

ざっとこんな話であった。能海は南條文雄への手紙の中に、デルゲの甘珠爾、丹珠爾、つまりデルゲ版チベット大蔵経について報告したが、運送費を計算に入れたのか、価格は2倍の2000両と書き、日本人の足を考慮したのか、デルゲまでの行程を20日と書いている。
翌年春、能海はデルゲ経由でチベットに入る計画を立てた。しかし、沿道の物騒と雇い人の違約によって、結局断念し、青海に向かう。だがそのルートからも入蔵はならず、重慶に引き返し、今度は雲南に道を取って3度目の挑戦をした末に、麗江で消息を絶つのである。

能海がもしも首尾よくデルゲに到達できていたら、有名なデルゲ・パルカンで経典が木版印刷されている様子を見て、狂喜したに違いない。そしてもしも彼がデルゲ版をたとえ一帙でも日本に送ることができたら、それは多田等観先生よりも20年以上早い我が国への請来となるところであった。

康定市(ダルツェンド)は、成都から飛行機で1時間、高速道路を使うと3時間あまりで行けるらしい。
一度は訪れてみたい場所である。
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祈り

2020年06月01日
6月1日(月)
梅雨がそこまできている。今年ほどこの暑く湿った季節が待ち遠しい年はない。

日本列島に古くから住んでいる神々が、これ以上新型コロナウィルスの跳梁跋扈を許すはずはない。
神々とは自然の別名である。

高温多湿は新型コロナには効かないという説もあるが、私は、梅雨時の雨がこの列島からウィルスをきれいさっぱり洗い流してくれると信じている。
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