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仏像、探しています

2020年03月20日
慧海が主宰した在家仏教修行団の本尊は、光雲が昭和3年にインド産の白檀木を彫った釈迦牟尼仏立像であった。白檀木の原形を活かして、施無畏与願印の釈迦牟尼仏が山窟から姿を現したところを写した「出山釈迦像」である。ところがこのご本尊、今はどこにあるか分からない。

慧海は、第二回旅行中にカルカッタのインド博物館のバネルジーという人物から、ブッダガヤー出土の石仏を贈呈された。菩提樹下で降魔印を結ぶ坐像である。慧海はそれを日本に持ち帰り、還暦記念にブロンズにして頒布する計画を立てた。これはまた光雲の助力によって実現したともいわれるが、石仏はもとよりブロンズ像も残っていない。ブロンズ像は戦時中に供出された可能性もあるが、どこかに一体位残っていてもよさそうなものである。

お心当たりの方、ご一報願います。
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「水ほどうまいものはない」

2020年03月20日
3月19日(木)
ここ二三年、今頃の季節になると喉の調子が悪くなり、声がガラガラになる。ついに花粉症が出てきたのだろう。ところが、今春はこの症状がほとんど出ない。コロナに備えたマスクと手洗いが効いているようだ。それにしても、これだけ頻繁に手を洗うのは我ながら珍しい。スリランカやバングラデシュに行った時には、三度の食事の前と後に石鹸をつけてごしごし洗ったが、それはごく短期間の話である。

3月20日(金)
「水ほどうまいものはない」というのが、高村光太郎の伝える慧海のことばである。早くこういう心境になりたいものである。
光太郎の慧海との繋がりは、父光雲の代からのもので、光雲は工房で頒布用の作品を量産して慧海の資金調達を助けていた。そうして作られた釈迦牟尼仏や大黒天の像が各地に残っている。
光太郎は、父親がしたようなやり方で慧海に協力することはなかったが、慧海の首と裸体坐禅像を制作した。それは彼が前々から慧海の風貌に創作意欲をそそられていたからである。光太郎は特に首を制作する過程で、モデルの慧海と随分話をした。その一部をエッセイに書き、いくつか他に見られない、おもしろい情報を伝えている。つまり、慧海に関するかぎり、光雲は仏像を残し、光太郎は文章を残したのである。
慧海の首と坐禅像は、石膏原型のまま光太郎のアトリエに保管されていたが、昭和20年の空襲でアトリエが全焼した際に他の作品と共に失われた。



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