FC2ブログ
01月≪ 1234567891011121314151617181920212223242526272829≫03月

ペスト1896

2020年02月27日
1896(明治29)年からボンベイ(現ムンバイ)でペストが大流行した。それは、天台宗の大宮孝潤(おおみや・こうにん)がセイロン(現スリランカ)のコロンボから送った報告によれば、100万都市ボンベイの住民のうち35万人が地方に避難し、死者は毎日数百人を数え、火葬に必要な薪の値段が10倍に高騰するほどの猖獗ぶりであった。
当時からボンベイには日本人が住んでいた。日本公使館や三井物産などの駐在員とその家族もいれば、「唐行きさん」のような女性たちもいた。前者ならばマラバールヒルのような高級住宅街で息を潜めることもできるが、後者の生活圏はインドの庶民のそれとまったく変わらない。いずれにせよ、彼らがこの恐ろしい状況をどう耐え忍んだかは想像もつかない、と思ってきたが、最近の新型肺炎の流行で僅かながら実感できる気がしている。

ちなみに大宮はこの年の初めにボンベイに着き、11月にコロンボに転学した。ペスト蔓延の折から、ボンベイからコロンボへの直行便が停止されていたため、彼はチュチコリンまで行って乗り換えようとした。ところがそこで検疫のために10日間留め置かれ、その間にコレラが発生して渡島ができなくなった。そこでマドラス(現チェンナイ)まで汽車で行き、ようやくコロンボ行きの船に乗ることができたのであった。
隔離と移動制限、これが今も昔も防疫の基本であることが分かる。

その他 | トラックバック(0)

風邪用心

2020年02月23日
風邪を引かないように用心している。ただの風邪でも、最初のうちはインフルエンザや新型肺炎と区別がつきにくいから、結局、休んで様子を見なければならなくなるからだ。休んでいられない仕事がまだいくつも残っている。その最たるものは、卒業論文の口述試問だ。主査が不在では、試問にならない。

「明智光秀が大河の主役なんて、世も末だな」というのが企画を知った段階での感想だった。しかし、今は思っている。若い侍が一騎、戦国の荒野を疾駆してゆく。その姿をしばらく見ていたい。たまたまその侍の名前が、織田信長でも羽柴秀吉でもなく、明智光秀であるだけで、その旅路の果てに何が彼を待っているか、誰を討ち、誰に討たれるかなど、今のところどうでもいいではないか。

今日は休みだが終日大学の部屋でたまった仕事に取り組んだ。努力の甲斐あって、仕事が3つも終わった。小さいことからコツコツと、である。やればできるじゃないか。

ある大学教員の日常茶飯 | トラックバック(0)

また東京出張

2020年02月22日
2月20日(木)
東京に出張。品川駅構内のこぎれいな蕎麦屋で昼食を済ませる。元来、私は車中で駅弁を食べるのが好きなのだが、この御時勢、新幹線内での飲み食いははばかられた。S駅西口で他の人々と落ち合い、バスで現場に向かう。いつも通り、温かく迎えてもらった。しばし前回の調査の結果説明と今後の相談の後、資料の確認を2時間ほどしてから辞去した。
S駅まで戻り、一行と分かれて一泊。昨日は朝のラッシュが収まった頃に行動を開始し、あれこれ資料の収集に努めた後、いつもよりは早めに帰途についた。
泉ヶ丘まで帰り着くと、駅中薬局にマスクを買い求める人々の列ができていた。私も一瞬並ぼうかと思った。群集心理というのは恐ろしいものである。それでも、列ができるということは多少の入荷はあるということである。試しにアーケード街の角の薬局に入ったら、品薄ながらもマスクはちゃんと置いてあった。まあ、こんなものである。
こんな時期、家で大人しくしていたいが、年度末で予定が立て込んでいる。できることは、マスクと手洗いぐらいしかない。



フィールドワークの記録 | トラックバック(0)

高野山大学同窓会徳島県支部総会

2020年02月21日
2月18日(火)に徳島市のホテルで開かれた高野山大学同窓会徳島県支部総会に派遣されて、「高野山留学生事情」と題して1時間ほど話をさせてもらった。

難波のスイスホテル5階にあるバスターミナルから11時発徳島行きの高速バスに乗った。車で行くことも考えたが、寝てゆけるのでバスを選んだ。2時前に徳島駅前に着き、お昼に徳島ラーメンを食べた。前夜、たまたま徳島市に住んで阿波浄瑠璃を研究している日本通のアメリカ人を取材した番組を見た。その番組の中で、彼は徳島ラーメンにサービスの生卵を二個も落としてうまそうに食べていた。その店が、会場のホテルに近いと知って行ってみる気になったのである。もっとも、二個はヘビーなので、生卵は一個にし、お好みでサービスされるニンニクも、入れてもらいたかったが、これから話をする身なので控えた。
IMG_5184_convert_20200221072255.jpg
*どんぶりに東大とあるが、これは東大工町の略らしい。

同じ番組の中で紹介されていた「遊山箱」という弁当箱も、お菓子入れにちょうどよさそうなので、あればお土産にほしいと思っていたが、眉山のふもとの「阿波踊り会館」の土産物屋が改装中だったため手に入らなかった。

総会、講演会の後、懇親会にも出させてもらって、この日はこのホテルに宿泊。翌朝、バスで大阪に戻り、1時には大学に出頭してさる会議に臨んだ。徳島には何回か来ているが、なぜかいつも時間がなく、ロープウェイで眉山に登ってモラエスの旧跡を訪ねることも、鳴門から徳島に移転した鳥居龍蔵の記念館を見ることもできないでいる。

>>続きを読む・・・
高野山大学の力 | トラックバック(0)

麒麟はきたが…

2020年02月15日
太平の世に現れるという結構な聖獣、麒麟。その麒麟がせっかくきたのに、捕獲してしまった、つまり殺してしまった、というのが、獲麟の故事である。孔子はこれを知って『春秋』の筆を絶ったので、獲麟は絶筆、または物事の終わりの意で用いられる。
以上は、最近もらった湯浅邦弘編著『中国思想基本用語集』(ミネルヴァ書房)から学んだことである。
お駒のような薄幸の女性が、ひたすら麒麟がくる世を願っても、麒麟がきたらきたで、それを殺そうとする、つまり乱を起こそうとする愚かな人間もいるのである。もしも脚本の池端俊策氏が、ここまでを呑み込んで脚本を書いているとすれば(そしてそれは大いにありうることだが)、クライマックスはいったいどういうことになるのか。今から楽しみである。
ある大学教員の日常茶飯 | トラックバック(0)

プレート設置報告会第二弾

2020年02月10日
このところ、行事続きである。
2月9日(日)
午後2時から堺市博物館地階ホールで「慧海記念館にプレート」除幕式の報告会があった。
昨年末桃谷のシュレスタで開かれた報告会と同趣旨であるが、今回は青年海外協力隊で先月までマルファで活動していた岩佐綾さんが加わった。プログラムは以下の通り。
 奥山「河口慧海研究の現在」
 大西信司「慧海記念館プレート除幕式の報告」+動画
 大西信司「ツァーランにプレート設置」
 岩佐綾「マルファ 第二の故郷」
寒いのと新型肺炎の影響とで客足が鈍ったのか、思ったほど来場者は多くなかったが、東京からY川さん、奈良から高山先生のお嬢さんが駆けつけてくれて、なかなか盛り上がったと思う。
大西さんたちは、この夏、今度はツァーランへの慧海記念プレート設置に動くということで、その行動力には敬服する。慧海がツァーランにいたのは1899年から1900年にかけてである。その彼の足跡が120年も経ってから記念され、顕彰される。伝説はこうして作られる、を間近で見るようである。

終わって関係者は博物館向かいのレストランに入ったが、私は車を駐車場に入れていたのと、途中から少々疲れを感じたのとで、入り口で失礼して帰宅し、夕食後、御山に向かった。今朝は本当に寒かった。
ある大学教員の日常茶飯 | トラックバック(0)

高野山真言宗広島青年教師会

2020年02月08日
2月6日(木)
高野山真言宗広島青年教師会に招かれて、福山市にゆき、「南方熊楠と真言密教」という題で話をさせてもらった。会場は福山駅前の天満屋裏のフロリダという元ダンスホールで、まだミラーボールも下がっていた。手作り感あふれる、なかなか結構な会場であった。僧侶以上に一般のひとがたくさん来られた。

終わって、駅前のホテルにチェックインしてしばらく休んだあと、懇親会に参加させてもらった。会長の坂田師、事務局の平山師にはすっかりお世話になった。坂田師は、熊楠について深い知識をお持ちだった。平山師は、私が前に訪ねていろいろ教えてもらった宮島の大願寺の方で、この点でもご縁を感じた。また私が高野山大学に赴任した頃に学んでおられた菅梅師、御室派全国青年教師会会長の鈴木師にもお目にかかれて、大変ありがたかった。

2月7日(金)
8時半にホテルを出て、鞆の浦に観光に行った。鞆の浦は景観保全の問題やジブリの「崖の上のポニョ」で知られるようになった港町である。瀬戸内の潮待ち、風待ちの港として古くから栄えた。福山駅前からバスで30~40分で終点の鞆港に着く。時間がまだ早かったため、土産物屋は閉まっていた。その分静かに散策できたが、往時の鞆の浦は水運や製鉄・酒造などの地場産業でそれは栄えたらしい。小高い丘の上に歴史民俗資料館がある。その一帯は鞆城の跡で、京を追われた足利義昭が住んだのもここだったようである。大河ドラマ「秀吉」では、本能寺の変を察知した義昭が、鞆の浦から水攻め中の高松までやってきて秀吉に保護を頼み、中条きよし演ずる安国寺恵瓊にとがめられるという場面があった。歴史的にはあり得ないのであろうが、なかなかの名場面だったと思う。
鞆の浦は坂本龍馬にも縁があり、龍馬が隠れたという商家もあった。いろは丸が沈んだのも鞆の沖合とのことであった。
IMG_5086_convert_20200208101450.jpg
 *鞆の浦のシンボル、常夜灯(安政六年建設、地元ではとうろどうと呼ばれている)。

IMG_5078_convert_20200208101556.jpg
*港に至る道。右側は、七卿落ちの際に三条実美等が宿泊したという豪商の屋敷。

鞆の浦とか、田辺とか湯浅とか、そういうところでゆっくり羽を伸ばしたい。そういえば、この間、電話でS須先生に、「君、ちょっと遊んだらどうかね」と言われた。まあ、その通りだが、それは老後の楽しみに取っておこう。

11時半には福山駅に戻り、3時過ぎには帰宅したが、出張続きで疲れがたまったのか、それからは何も手に着かず、寝てばかりいた。


高野山大学の力 | トラックバック(0)

宇都宮にて

2020年02月01日
2月1日(土)
科研の調査で宇都宮に来ている。宇都宮で降りたのは初めてである。訪問先は真福寺、河口慧海の弟西河宝山(岩吉)が住職を務めた黄檗宗の寺院である。駅から2キロの道のりを歩いて、ご住職の海野師に迎えられた。海野師は気さくで実に話しやすいお方であった。お会いするのは久方ぶりであったが、真福寺所蔵の慧海の手紙を研究した際、とてもお世話になっている。

思い出すのは、大学の同級生には栃木や群馬の出身者が多かったということである。その中に宇都宮出身の女子学生が3人もいて、みんなそろって勉強がよくできた。最近、K村先生の「温かいご配慮」のお陰で、私は関西地区の同窓会の役員を引き受けることになった。来月の初めに会合があるから、「出るべし」という「ありがたい」はがきまで頂いている。行けば、同級生たちの消息も知れるだろうか。

さて、真福寺で、海野師に慧海・宝山関係の資料を見せてもらいながら、いろいろお話を伺った。私はこの寺を訪れたことがないことを心のどこかで苦にしていたので、本日お参りが果たせてとてもよかった。終わって、車で駅前まで送ってもらい、宇都宮名物の餃子でニンニクを補給してから、東口のホテルに投宿した。

明日は西那須野まで行く予定を立てていたが、悪疫の流行が懸念されるこの頃、うろうろしていないで早めに関西に戻ることにした。東京まではもどる時間があったが、人混みの中に入るのがいやだったので、結局、宇都宮泊となった。




フィールドワークの記録 | トラックバック(0)
 | HOME |