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東京3泊4日

2019年08月31日
8月29日(木)
科研費による調査で東京に向かった。品川で下りると、空気が熱い。この日の東京は、確実に大阪より暑かった。
渋谷で中華の昼食を取り、乗り換えて現場に向かう。暑さに加えて荷物の重さに大汗をかく。道を尋ね尋ねようやくたどり着くと、他の人々はすでに到着していた。それから夕方まで作業を行うと、所蔵者のご厚意で夕食が用意された。打ち合わせも兼ねてのことではあるが、恐縮の極みだった。この日の宿はこの前と同じ御茶ノ水のガーデンパレスだった。

8月30日(金)
小雨。
この日も道を間違えそうになりながら、何とか約束の9時に現場に到着すると、もうみんな用意ができていた。それから昼食を挟んで夕方まで確認作業を行う。次々に貴重な資料が現れるが、じっくり見ている余裕はない。とにかく全体像を把握することが今回の目的だ。4時半頃、一応最後まで作業が終わり、説明と御礼を述べて引き上げる。バスで渋谷駅まで出て解散。これからの2泊は飯田橋のホテルである。近くのインド料理屋に入り、タンドリチキンを肴に喉を潤した後、チェックインしてすぐに就寝した。

8月31日(土)
この日からは用務が日本佛教学会学術大会に切り替わる。早起きして香港学会用の原稿を直し、それから会場校の東洋大学に向かった。飯田橋から東洋大学までは、大江戸線で一駅で春日、春日で三田線に乗り換えて、これまた一駅で白山、白山からはものの5分で到着という便利さである。
第1セッション後の休憩時間に会場に入ったが、その席は偶然にもN先生の隣だった。N先生とは、この間の宗教倫理学会でお目にかかったばかりである。
昼食を兼ねた理事会の後、私はいちどホテルに戻った。学内に飛んでいるwi-fiが急には使えそうもないことが分かったためだ。香港の事務局からは、今日中にペーパーを送るように言われている。近いと言っても、ドアツードアで30分はかかる。無事送信して会場に戻ったら、すでに総会が終わり、みなさん懇親会場になだれ込もうとしていた。

懇親会にO君がいたので、なかなか奇特だと褒めたら、懇親会にもまめに顔を出し、いろいろな人と情報交換するのも勉強だと言ったのは先生じゃないですか、と逆襲された。すっかり忘れていたが、これは嘘じゃない。
同じ会場で、N先生(上記のN先生とは別人)に、○○を見せてもらいたいんですけど、と持ちかけたら、いいですよ、今度手続きを聞いておきましょう、と。昔からの友は、これだから有り難い。

9月1日(日)
実は重たい懸案を二つも抱えたまま私は東京に来た。それが昨日の電話1本、メール1通で解決に向かった。まあ、とにかく、迷ったらやってみるものである。

この日も第2セッションから参加。午後のセッションで興味深い推測を述べた発表者がいたので、質問させてもらったが、あとで同じセッションで発表したM先生に、「どうして僕には突っ込みを入れてくれなかったんですか」と言われた。
いや、そりゃあ、仲間割れのような印象を他人に与えないように控えたのだが・・・質問には結構気を遣うものである。
学術大会終了後、長女の家に行き、近くのレストランで夕食を共にした。それから山手線経由で東京駅に行き、新幹線に乗った。帰宅したのは、日付が変わる頃だった。



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宗教倫理学会 at 高野山大学

2019年08月28日
8月28日(水)
昨日の午後1時半から高野山大学を会場に宗教倫理学会夏季研修会が開かれ、最初のスピーカーとして話をさせていただいた。この学会は20年ほど前に結成され、夏季研修会は回り持ちで、高野山大学でも過去3、4回会場を引き受けているとのことであるが、私は初めて参加した。これも天理大学のS先生のご慫慂のお陰である。6時半からH光院で懇親会が開かれ、遅くまでたいそう盛り上がった。来年ニュージーランドで開かれる○○に○○しないかというお話をいただいたが、この方は、まあ、どうでしょうねえ、としか言えなかった。
ところで、H光院は代々学僧を輩出している塔頭である。その縁だろう。懇親会の二次会に使われた部屋には多田等観先生のチベット語の書が掛けられていた。

明日から3泊4日の出張である。
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みちのく二人旅2

2019年08月17日

夕食は温泉街のセンタープラザ向かいの食堂でジンギスカンと肉そばを食べた。肉そばは山形名物で、コシのあるそばと鶏肉の取り合わせが実に美味である。ただ今一つ話題にならないのは、この即物的な(山形らしいといえばいえるが)ネーミングのせいかもしれない。センタープラザ内の温泉に入り、お土産を買って戻った。


8月15日(木)

5時半過ぎに起きて券をもらい、大露天風呂に入りに行った。これが実に立派なものであった。蔵王温泉の泉質は強酸性、含硫黄云々で、皮膚病に高い効能があるという。確かに硫黄の匂いが鼻につく。ちょっと舐めてみると酸っぱい。これは効きそうだ。露天風呂は渓流の傍に作られている。男女別で、だれでも安心して入れる。違う季節にも来てみたい気にさせられた。


朝食をとって8時に出発。このロッジ、女将が明るく親切で、結果的にここにしてよかったと思った。

30分ほどで山を下り、実家によって忘れ物を受け取り土産を渡してから駅に向かう。レンタカーを返し、9時45分発の仙山線で仙台に向かった。


仙台駅に着き、まず五橋のホテルに行って荷物を預けた。


仙台に行ったらまず震災遺構を訪ねる、というのが私の大まかなプランであった。できれば石巻まで行って、大川小学校の跡地にお参りしたかった。しかしこれは遠くて時間が取れない。結局、地下鉄東西線の荒井駅構内にある施設を見学するに止めた。

そのあと仙台駅まで戻り、仙石線に乗り換えて松島に行き、遊覧船に乗った。台風10号の影響か、いつになく波が高かった。外海に出ると船が大きく揺れた。

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仙台に戻ったのは5時過ぎだったか。夕食は牛タンを考えていたが、松島で昼食を食べたのが遅かったので、まだお腹がすいていない。次女に食べ物を買わせてホテルに戻りチェックインした。暗くなってから一人で出かけて立ち飲み屋でビールを少々いただいた。


8月16日(金)

チェックアウト時にフロントに荷物を預かってもらい、8時半にホテルを出て、駅前のバススタンドからループルという観光スポット巡りのバスに乗った。降りたのは仙台城址。松島も青葉城も私にとっては珍しくないが、すべては娘孝行である。


帰りはタクシーで仙台駅まで戻り、次女がアパレルショップを見ているうちにホテルから荷物を運んだ。浅田次郎氏によれば、仙台は知る人ぞ知るアパレル業の激戦地なのだそうだ。住んでいる間は、そういうものとは無縁に過ごしていたが、今はどうなのだろうか。


今旅行最後の食事は仙台駅3階の牛タン横町での牛タン定食であった。時間的に少し早かったおかげか、すぐに座れたが、私たちが食べ終わって店を出ると、外に長い行列ができていた。12時44分のやまびこに乗る。次女とは東京駅の構内で分かれ、東海道新幹線に乗り換えて帰途に就いた。

カバンに本だのパソコンだのを詰めて持って行ったが、一回も取り出さずに終わった。





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みちのく二人旅

2019年08月17日

このお盆は久しぶりで山形に帰った。長女が一家して(二匹の犬まで連れて)S市に行くついでに、山形に寄って母に孫を見せたいというので、こちらも重い腰を上げたのである。家内は都合で行けず、次女はこの機に旅行してやろうともくろんでいる。いきおい、私は次女の付き人兼案内人兼写真係となった。


8月12日午後、御山を下り、家で旅装を整えて、夕方から東京に向かう。山形新幹線の切符が13日10時53分発しか取れなかった。窓口で切符を受け取る手間を考えると、当日堺発では到底間に合わない。そこで東京前泊と相成った。ホテルは御茶ノ水のガーデンパレス。東京駅までは至便だし、私は私学共済から割引券をもらっていたので安く泊まることができた。


8月13日10時過ぎに東北新幹線の乗り換え口で次女と落ち合い、東北に向かう。昼食は東京駅で買った駅弁ですませる。午後1時半、山形駅着。駅前のレンタカー店で予約のカローラアクシオを借りて実家に行く。実家は駅から車で10分程度。山形は東京より暑かった。夕方から久しぶりで兄とビールを飲んだ。


8月14日、午前11時過ぎに長女一家が着き、孫と母(孫から見れば曾祖母)との対面が実現した。3カ月ぶりに会った孫はずっしり重くなっていた。近頃はつかまり立ちをしようとしているらしい。赤ん坊はすごい。それから皆で菩提寺に墓参りにでかけた。


終わって長女一家は次の目的地へ。私と次女は蔵王に向かった。当初実家には二晩泊まる予定だったが、急きょ蔵王温泉に宿を取ったのである。次女は旅行好きだが、山形にそう何度も来る訳ではない。せっかくの機会である。

驚いたことに、西蔵王高原の道路を使うと、市内から蔵王温泉までは30分ほどであった。まずはお釜(蔵王の火口湖)を見ておきたい、という訳で、エコーラインを上って刈田岳を目指した。ところがあいにくガスがかかっていてお釜はまったく見えない。刈田嶽神社をお参りして温泉に戻った。

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*左お釜、右五色岳。雄大な景色を想像しよう。


予約した宿を探すのは多少の時間を要した。2回電話をかけ、ようやくたどり着いたそこは、温泉街では一番上流にある大露天風呂の近くであった。外観も内装も純然たるスキー客用のロッジである。内風呂はなく、チケットをもらって外湯に入る仕組みだという。まあ、当日の予約だし、外湯回りも悪くない。



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鈴木貫太郎の誕生地

2019年08月11日
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ひょんなことから、鈴木貫太郎が堺で生まれたことを知った。ポツダム宣言を受諾して日本を終戦に導いた首相である。鈴木は、下総の関宿藩士の息子で、父親が、泉州大鳥郡伏尾の関宿藩の飛び地の代官をしていた時に、この地で生まれた。現在の堺市中区伏尾である。伏尾は我が家からそう遠くない。図書館に本を返すついでに車で行ってみた。上の写真は、そこに立つ記念碑である。

鈴木は幼い内に関宿に移ったようであるが、この地を忘れることはなかったようで、2.26事件で瀕死の重傷を負った時、この一円の鎮守である多治速比売命(たじはやひめのみこと)が枕元に立って救ってくれたと言っていたらしい。
多治速比売命は我が家の氏神でもあるから、これはちょっと嬉しい驚きである。

私はもちろん戦後生まれだが、毎年8月6日から9日を経て15日までは、自然厳粛な気持ちになる。この期間、特に最後の一日に焦点を当てた半藤一利の『日本のいちばん長い日』はノンフィクションの傑作だし、これに基づいて作られた二本の映画も、阿南陸相の割腹自殺を長々とやることだけは閉口だが、それぞれにおもしろいと思っている。鈴木は、オリジナルでは笠智衆が、リメイク版では山崎努が演じている。



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毎日新聞高野山夏季大学

2019年08月05日
8月5日(月)
3日間続いた第95回高野山夏季大学の最終日の昨日、午前9時から1時間あまり、「南方熊楠と高野山」と題して話をさせていただいた。黎明館にぎっしりの「学生」の皆さんはマナーも反応も上々だったし、毎日新聞大阪事業本部の方々の応対もぴたりぴたりと適切で、とても気持ちがよかった。こんな後味のよい講演会はちょっと記憶にない。関係者の皆さんに厚く御礼申し上げたい。

この夏季大学の始まりは、大正10年から始まった高野山涼風講座にある。時の毎日新聞社社長の本山彦一氏が発案し、時の真言宗高野派管長、土宜法龍師に相談して実現した。夏の高野山にもっと参拝客を呼ぼうという、ありがたい志から出たものという。それから回を重ねて今回で95回。おそらく戦時中の数年を除いてずっと続いてきたものと思われる。この会にこんな形で参加させてもらい、いい記念になった。

講演となると準備をしすぎて重たくなってしまう。これが近頃の私の悪い癖である。今回も思わず力が入りすぎるところ、すんでの所でこれに気づき、それからはもっぱら話す内容を減らすことに努めた。今回はこれがよかったのではないか、というのが自己分析である。

今日も堺は暑い。今日一日は大人しくして、明日から再始動したい。




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河内金剛寺

2019年08月02日

8月3日(土)

今週は高野山も暑い。

木曜日、河内の金剛寺を拝観に行った。乾学長が野外授業をやるというので、臨時に参加したのである。炎天下、大分日に焼けた。受講生は8人。すべて難波サテライト教室の編入生たちだ。


ハイライトは、金堂(重要文化財)に安置された大日如来、不動明王、降三世明王の三尊像(木造、平安時代末期~鎌倉時代、国宝)の拝観であった。金堂の外陣に入っただけで空気が違うと感じた。金剛寺は、南北朝の舞台としても知られている。南朝の後村上天皇は、この寺を5年間、行宮とされた。後村上天皇が月見をされたという観月亭が残っている。

金剛寺と観心寺を合わせると、「中世に出逢える町」という河内長野市のキャッチフレーズはだてではない。河内長野市から千早赤阪村にかけての一帯は、楠木一族の活動の舞台でもある。


昨日から大学講堂の黎明館で高野山夏季大学が始まった。私も明日、1時間ほど話をさせてもらうことになっている。




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