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年度末

2019年03月27日

3月27日(水)

ほとんど休みのないまま新年度に突入しようとしている。


先週の金曜日の午後、Aさんが御山に来たので、奥之院を案内し、宿舎のD院で夕食をともにした。Aさんは大学のクラブでの1年先輩で、会うのは30数年ぶりである。西日本の大学を定年退職して、車であちこち見物しながら仙台の自宅まで戻る途中で寄ってくれたのであった。翌日は8時半にD院に行き、大伽藍と霊宝館を案内した後、これから滋賀に十一面観音を見にゆくというAさんを送り出した。そういう趣味があったとは知らなかったが、高野山に寄ったのも「長年の念願だった」かららしい。


月曜日、日本密教学会の理事会に出席するため東京港区の真福寺に行く。理事会後の懇親会に出席してから巣鴨のホテルに一泊して、昨夕帰宅した。


明日はK村さんが5月のイベントの下見に来る。



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春の紀南2

2019年03月22日

昼近く、大島を後にして新宮に向かう。途中、太地に寄り、「くじらの博物館」の向かいの食堂で鯨定食を食べた。後学のために「くじらの博物館」も見学した。日本列島沿海での商業捕鯨の再開が報じられている折柄、展示物には興味が持てた。

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*伝統的な鯨漁を大型の模型で再現したもの。


新宮に着いたのは2時過ぎである。目的の佐藤春夫記念館は速玉大社の社前にあった。平成元年に東京から移築された旧佐藤春夫邸で、設計は西村伊作の弟の大石七分である。邸内を見学してから大石誠之助関係の資料をもらった。新宮市内には旧西村家住宅もあり、西村伊作の記念館になっているが、こちらは重要文化財に指定されて現在修復中で、見学できなかった。


ホテルにチェックインした後、夕食のために町に出た。アーケード街近くの店で天然物というブリの照り焼きを肴に一杯やったが、田辺の「あじみ」の偉大さを再認識するに終わった。むろん新宮にも名店はあるに違いないが、よそ者にはすぐに分かろうはずもない。

翌朝、熊野本宮の世界遺産センターにTセンター長を訪ねた後、本宮と大斎原(おおゆのはら)を参拝してから、中辺路経由で帰途に着いた。

帰り道は本当に遠かった。

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春の紀南

2019年03月19日

3月19日(火)

15日に卒業式を終え、翌16日から紀南(和歌山県南部、南紀とも)に2泊3日で調査に出かけた。

初日は田辺の南方熊楠顕彰館で資料を調べた。顕彰館は常設展示の模様替えの最中だった。この日は例によってパークサイド・ホテルに一泊。夕食は「あじみ」で生ホタルイカ、フグの唐揚げ、牡蛎雑炊をおいしくいただいた。

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*潮岬の鯨山見(くじらやまみ=鯨の回遊の見張り所)から沖合を眺める。風が強く黒潮に白い波頭が無数に立っている。


翌17日はまず本州最南端の潮岬の灯台を訪ねた。それから紀伊大島に渡り、樫野碕灯台の旧官舎とトルコ記念館を見学した。樫野崎灯台は潮岬灯台と並ぶ我が国最初の洋式灯台である。二つともスコットランド人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンによって設計された。灯台の手前にある旧官舎が修理され、内部が見学できるようになっていた。ボランティアのおじさんの案内で各部屋を見て回る。この部屋はトルコ人たちを手当てした部屋、この部屋は昭和天皇がお休みになった部屋、この部屋はブラントンが灯台を設計した部屋、この伝声管は元は船のもので、ブラントンがフランス人、インド人の通訳を呼ぶ時に吹いたもの…

トルコ記念館は、2015年のエルトゥールル号遭難125周年を期して展示が一新され、「海難1890」のメイキング映像なども流れていた。


私が初めてここを訪れたのは大学3年生の夏であるから、今から40年も前のことである。高野山D院でしばらく食客をした後、五條から国鉄バスで十津川を経由して川湯温泉に着き、ユースホステルで一泊した。翌日は熊野本宮大社に参詣した後、新宮に出た。それから串本で電車を降りて、大島に渡った。当時は島と本土を結ぶ橋など無論なかったので、串本節に謡われている通り、「仲をとりもつ巡航船」で島に渡って、バスで樫野碕まで来たのである。その時には、数十年後にエルトゥールル号の研究に関与し、シンポジウムに参加するためにイスタンブルまで出かけるなどとは思いもよらなかった。

ここは私にとってはひとつの聖地である。


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*灯台の近くに立つトルコ人殉難将兵の慰霊碑のひとつ。題字は大谷光瑞の書である。



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春の雪

2019年03月13日

3月13日(水)

朝方、曼荼羅荘の玄関の戸を開けて驚いた。外が真っ白である。

だが所詮は根のない春の雪。日が射すと、どんどん融けはじめている。


ノーベル化学賞を受賞してからの田中耕一氏の16年間をインタビューを中心に追ったNHK特集を、本放送で1回、録画で2回見た。胸を打たれた。この16年間に日本の科学行政は大きく転換した。予算が削られ、多くのポストが消え、競争が激化した。もちろん、そのこともある。しかし、続ける人はどんな状況でも研究を続けてゆくのだ。そのことがうら悲しく、また美しいもののように感じられた。










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灯りをつけましょ

2019年03月04日

3月4日(月)

土曜日、大学院の入学試験の業務を終えて帰宅して気がついた。「明日は3月3日じゃないか」

今年もお雛様を出しそびれてしまったことを家人と確認。「一夜飾りはよくない」が家人の口癖である。それにしても、お雛様を出さないことは長きにわたって心のひっかかりになっている。

日曜日の午後、堺市街の開口神社に安産のお礼参りに行ったついでに、北旅籠町に行き、「ろうじ」を訪ねた。たまたまH下さんも来合わせ、オーナーのS賀さんを交えて歓談しているうちに、お雛様の話になった。「ここらでは、3月3日頃にお雛様を出して4月3日まで飾ります。ほんとは旧暦の桃の節句までにしたいけど、旧暦は毎年変わるので分かりやすくしてます」

「それだ」と私は膝を叩いた。旧暦でやればよいのである。そそくさと話を打ち切って家にもどり、何年も開けなかった箱を開けてみた。お雛様たちは無事であった。秘かに恐れていたように虫食いでぼろぼろになどなっていない。

スペースの都合で、お内裏様だけを飾り、三人官女にはもとの箱に戻ってもらったが、久しぶりで少し気が晴れるのを覚えた。


ところで、お雛様を4月3日まで飾るというのは、別に堺旧市街の風習といったものではなく(最初私はそう受け取ったのだが)、古いひな人形をあちらこちらの町屋に飾るイベントをやっているS賀さんのアイディアであることを後で知った。ま、それはそれでいいじゃないか。

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