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ムンバイ市内見学午後の部

2019年01月30日

1月30日(水)

今朝の高野山は寒かった。お陰で起き抜けに計った血圧が高かった。寒さは血圧の大敵である。先日お医者に「職場が高野山なもので、寒さはなかなか防げなくて…」と訴えると、彼は、「高野山でも部屋は暖かいでしょうから、暖かい部屋で(血圧を)計って下さい」と、全く分かってくれなかった。


さて、1月10日午後のメニューもてんこ盛りであった。

まず向かったのはハッジ・アリー廟。海に浮かぶイスラームの聖者廟で、満潮には波の下になる細い道で陸地と繋がっている。参詣者・見物客はすこぶる多い。蟻の列のように繋がって海の中道を進む。

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参詣を終えて車に戻る途中、ハッジ・アリー・ジュースセンターというY下さんご推奨の店によって、フルーツジュースで喉を潤した。

次に向かったのは、シッディヴィナーヤク・ガナパティ・マンディルというガネーシャを祀る寺院である。ここも大した賑わいであった。神殿内にはガナパティのお使いのネズミの石像があり、このネズミの耳に願い事を吹き込むと、めでたく叶うとされる。Cさんが一所懸命何かをささやいていたので、後で冗談めかして「何を願ったのかな?」と聞いてみると、「●●●●が出来ますように」と素直に答える。もちろん、それは分かってますよ。

次はハイストリート・フェニックスという大ショッピングモールである。大きなビルの中におしゃれなお店がひしめいている。見学に忙しくて、お土産を買う機会がなかなかないので、特にリクエストしたのだ。前回私はここで銀のカップを買っている。ここにあるスーパーは、当然割高であろうが、良品が揃っている。みんなの目当てはお茶のようだ。

このモールは、一言で言えば、「インドらしくない」場所である。しかし、こういう言い方もやがて過去のものになってゆくのかな、という感慨があった。

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*モールの中の飾り付け。左奥にはマックの店もある。インドのマクドナルドでマハラジャバーガーはいかがでしょう。


この日はまだまだ終わらない。次はドービー・ガートと呼ばれる大洗濯場、次はチャトラパティシヴァージー・ターミナス(旧ヴィクトリア・ターミナス)。このブログでも2回ほど触れた世界遺産に登録された駅舎である。この駅舎も、その向かいのムンバイ市庁舎もライトアップされて実に壮大で美しかった。

この日の最後は、前夜に続いてMTDC主宰の晩餐会。MTDC総裁のK氏も出席された。

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*ムンバイ市庁舎




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ムンバイ市内見学午前の部

2019年01月29日

1月10日(木)

終日、専用車を使ってのムンバイ市内見学。この日のガイド・通訳にはプネーからSさんが来てくれた。Sさんに会うのは去年8月のプネー訪問以来である。

まずムンバイ名物マリンドライブで降りて、学生たちにアラビア海の香りをかいでもらう。何でもテトラポットの間に大きな蟹の群がいたそうな。

そこからマニバワンに向かう。マニバワンはマハートマ・ガンディーの旧宅で、今は記念館になっている。処々に掲げてあるガンディーの言葉はどれも含蓄が深い。ここにあるガンディーの生涯を描いたジオラマは教材に向いている。来年度から始まる難波サテライトでの密教学科の授業には、これを活用しようと思っている。

次に向かったのは、マラバール・ヒルの展望台であった。バブルナート寺院の横の石段を登り、展望台に上がると、バックベイの浜が眺められて、それなりに景色がいい。側にある公園が有名なハンギングガーデン(空中庭園)である。この公園の奥の林の中にはパールシー(インドのゾロアスター教徒)の葬儀場ダフマ、いわゆる「沈黙の塔」があるはずであるが、異教徒は原則として近づけない。

ここで私たちはたっぷり40分は待たされた。ムンバイは交通渋滞が酷い。ムンバイがあるのは七つの島を埋め立てによって繋いだ細長い半島である。土地は限られている。そこに経済発展で車が増えた結果、交通渋滞が日常化したようだ。私たちの車も大回りするのに大分時間がかかったのであった。

次はクリシュナ意識国際協会のお寺シュリーシュリーラーダー・ゴーピナート・マンディル(イスコーン・チョウパティ)。MTDCが連絡してくれていたのだろう。踊りで歓迎してくれた。私も引っ張られて、つい輪の中に… 本堂でお参りをしてから、別の部屋で特別にお説教をしてくれた。ランチはこの協会が経営するベジタリアン専用のレストランで取った。

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*クリシュナ意識国際協会のきらびやかな祭壇。







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血圧問題

2019年01月28日

先週の土曜日の朝、泉ヶ丘のクリニックに出頭した。

医師「血圧が下がりましたねえ」

私「は」

医師「降圧剤は使わずに、しばらくは生活習慣の改善で様子を見ましょう」

私「はい」

医師「塩分をなるべく控えて下さい。もう2ヶ月血圧管理手帳を付けて、また来て下さい」

私「はいっ!」

こちらはすぐにも降圧剤の処方を覚悟していたので、この結果は上々であった。実はこの成績には訳がある。ひとつは血圧を計るということに慣れたこと。もう一つは意味もなくアルコールを口にしなくなったこと。思えば、年末年始は飲み過ぎていたのである。


ある大学教員の日常茶飯 | トラックバック(0)

デリー見学

2019年01月23日

1月8日(火)

現地時間午後9時半、エアーインディア315便はインディラ・ガンディー国際空港に着陸し、和歌山県ムンバイ駐在員のO氏、MTDCデリー駐在員のS氏の出迎えを受けた。専用バスでホテルに向かう。ホテルは去年8月と同じメトロポリタンである。車中、N氏と明日のデリー視察の打合せを行う。国立博物館はマスト。フマユーン廟はパス。コンノートプレイスはバスが乗り入れられない…。1時間弱でホテルに着いた。日本時間では真夜中である。すぐに就寝する。


1月9日(水)

インドは早朝がいい。早々とビュッフェ形式のレストランで朝食をとりながら、学生たちが下りてくるのを待つ。みんな元気なようだ。朝食後荷物をバスに積み込み、市内見学に出発する。ガイドは日本語ができるV氏。学生たちにとってはインド人から直接話を聞く初めての機会だ。最初に訪れたのはホテル近くのラクシュミー・ナーラーヤン寺院(ビルラ寺)。これ自体は新しいが、インド入門はやはりヒンドゥー教からである。

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次に向かったのは、オールドデリーにあるジャマーマスジット。17世紀にムガール皇帝シャージャハーンによって造営されたインド最大のモスクである。中に入る前に女子学生たちはガウンを着用させられる。こういうこともひとつの経験ではあろう。信じる信じないは別にして、宗教施設を訪れた時には、そこの決まりに従って礼儀正しくするのがまっとうな人間の振るまい方である。

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その後マハートマ・ガンディーを祀るラージガートに詣でてから、国立博物館を見学した。

ヒンドゥー教とイスラーム教はインドの二大宗教、MKガンディーは多様なインドの統合の象徴である。この三つに触れてから、博物館でインドの歴史と文化を通覧する。我ながらなかなかのチョイスではないか。

ランチはマハーラーシュトラ州の出張所マハーラーシュトラ・サダンで取った。州の力を誇示するような堂々たる建物で警備は厳重である。タンドリ・チキンをメインにしたビッグ・ランチでお腹が一杯になる。博物館で時間が押したので、食後はどこにも寄らずに空港に向かった。

と、ここまでは今回の旅の序章にすぎない。


午後7時半、ムンバイ着。S氏を始めとするMTDCの人々に迎えられる。まずは彼らの案内で歓迎の夕食会。ムンバイでの宿は南ムンバイのカフ・パレードにある5つ星ホテル、ヴィヴァンタ・バイタージ・プレジデントであった。



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まずは旅の総括を

2019年01月18日

1月22日(火)

今回の旅の目的は、第一にアウランガーバードのマラサワダ大学との提携強化、第二に学生諸君のインド研修にあった。


学生は6人、教員は私1人。普通ならば引率者としてかなりの負担を負うはずのところ、今回は和歌山県国際課とMTDC(マハーラーシュトラ観光開発公社)の特別な支援を受けることができて、まったく何の心配もなく旅を続けることができた。また高野町から職員が同行して下さったのも心丈夫だった。エア・インディアとケーアイ・トラベルにも多大なご配慮をいただいた。お陰様で、今回の旅行は、同じ短い旅であれば3つ分くらいの充実したものになった。同行された他の方々も含めて、厚く御礼申し上げたい。


ただ私は、出発前から喉風邪に罹っており、旅行中それがこじれてかなり辛かった。夜中に咳が出て熟睡できない。途中からは水か食物かでお腹をこわした。学生諸君も交互に同じような症状に見舞われたが、何と言っても若者は回復が早い。それに比べてこちらは低空飛行を続け、最後の2日間は果物と水とコーヒー、紅茶以外はほとんど口にしなかった。食べなくても身体は動いてくれたから目立った支障はなかったけれど。


今度の旅の収穫のひとつは、やはり学生諸君と学びの旅ができたことである。短い間にも彼らに「成長」がうかがわれて嬉しかった。インドでもチベットでも東南アジアでも、もっと早くからこういう研修旅行が行事化されていてよかったと思った。できれば続けてゆきたいところである。








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デカン高原 幻想

2019年01月17日

Cさん「先生、このあたりでブッダの弟子たちも教えを説きましたか」

 普通ならば、分からないと答えるところである。しかし、何となくこう言いたくなった。

私「多分ね。だいいち、私も教えを説いた。今から2000年ばかり前のことだが」
C「では私もそこにいて、先生の教えを聞きました」
私「そういえばそんな気もする」

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*車窓から見えるあの山はシュリーパルヴァタか?






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Ajanta Viewpoint

2019年01月16日

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*ビューポイントからアジャンター石窟群を眺める。ワーゴラー川が削った断崖に造営された石窟寺院は30まで確認されている。人類の至宝、世界遺産の女王である。

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龍馬暗殺の下手人は?

2019年01月06日

1月6日(日)

今日は連絡で忙しい。明後日から学生たちを引率してインドに行く。やれ集合場所が変更になった、やれEチケットは、やれ靴は…。まあ、これも仕事のうちである。


昨夜、曼荼羅荘に戻ってテレビを点けると、龍馬暗殺事件をドキュメンタリータッチで取り上げている。今頃どうして?と思いながら見始めると、結構引き込まれる。しかし、見ているうちに、これは何か飛んでもない結論が出されるのではないか、と心配になった。龍馬暗殺は幕末のミステリーとして取り上げられることが多いが、私は(素人ながら)、昔から言われているように、京都見廻組の佐々木只三郎以下の犯行で何の問題もないと思っている。しかし異を唱える人はいるのである。

番組は、磯田道史先生の「専門家は見廻組の佐々木たちの犯行で一致している」という意味の発言で結論が出ていた。至極妥当だと思う。また龍馬はその1年あまり前に寺田屋で取り方二人を射殺している。それが暗殺に繋がったという説にはなるほどと思った。むしろ龍馬の方が重大事件の容疑者だったのである。要は一方の側からばかり見ないことだ。ただ、佐々木たちは龍馬を逮捕に来たのではなく、最初から殺すつもりで襲ったらしい。そんな警察官はいないから、事実とすれば、「実行犯」と呼んでも構わないと思う。


この事件の真相が曖昧になったのは、佐々木が鳥羽伏見の戦いで死んだことが大きいと前に読んだ気がする。真相を聞くことができなくなったのである。ともかく、今後は「龍馬暗殺の謎」をいう人は減るだろう。フィクションでも、歴史ものである限り、どんな解釈でも許されるということにはならない。ただその一方で、すべての積み重ねをひっくり返すような新説も読んでみたい気はしている。

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赤ん坊はすごい

2019年01月04日
2019年1月4日(金)
毎日のように、長女夫婦がアプリに孫の写真や動画をアップしてくれる。まだ生後2ヶ月で、顔かたちは日々変化してゆくから、私たちにはとてもありがたい。

それにしても、赤ん坊とはすごい生きものだ。自分では何もできないのに、周りの人間を動かして、次々と何かをさせてゆく。カリスマに似た力を持っていると言っていいかもしれない。

昨日の昼過ぎ、所用でなかもずに行ったついでに、量販店で血圧計を買ってきた。その続きで今朝はクリニックに相談にいった。

大晦日に外国からメールが2本来た。そのおかげで芯から休むことができなかった。そのお正月も昨日でおしまい。

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